親バカ父ちゃん子育て日記
11月の親バカ父ちゃん子育て日記 12月の親バカ父ちゃん子育て日記
2000年
1月の親バカ父ちゃん子育て日記 2月の親バカ父ちゃん子育て日記 3月の親バカ父ちゃん子育て日記
4月の親バカ父ちゃん子育て日記 5月の親バカ父ちゃん子育て日記 6月の親バカ父ちゃん子育て日記
7月の親バカ父ちゃん子育て日記 8月の親バカ父ちゃん子育て日記 9月の親バカ父ちゃん子育て日記
10月の親バカ父ちゃん子育て日記 11月の親バカ父ちゃん子育て日記 子育て日記トップ
11月1日 早いもので11月に入りました。去年は11月16日に最初の雪が降りまし
た。今年はどうなるのでしょう。少し緊張してきました。初夏に足腰を悪くしたので、冬に
なってのその再発が心配です。。。今日はとても嬉しいことがありました。雨が降ってい
るにも関わらず、若いご夫婦が5ヶ月の赤ん坊を連れて食事に来てくれました。なにが
嬉しいのかというと、その赤ん坊を連れての初めての外食にうちの店を選んでくれたの
です。もちろん赤ん坊がボクの料理を食べるのではないのですが、小さな赤ん坊を連れ
て出るのはやはり勇気のいるものです。落ち着かない、特に赤ん坊にとって騒々しい店
には立ち寄らないのが普通だと思います。涼子が赤ん坊だった頃にふたりで食事にみえ
て、うちの店を覚えていてくれて、小さな赤ん坊を連れてきてくれたことがなにより嬉しか
ったのです。大きくなった涼子を見て驚いていらっしゃいました。これからも家族で気軽に
立ち寄れる店作り、宿作りを心がけたいと思います。
11月2日 涼子を連れて上越へ仕入れに出かけました。相変わらずで、車に乗って
5分と経たないうちに、お菓子が食べたい、続いてジュースが飲みたい、眠たいからシー
トを倒せなどと、次から次へと運転をしているボクに要求してきます。買い物をしていても
疲れたからだっこ、おんぶ、先回りしておしっこは?と尋ねた時にはおしっこは出ずに、
レジの最中におしっこが出るなどと、さんざんボクを困らせます。今日などは仕入れた
商品の数がものすごくて、大きなカートにわんさか荷物を載せて、腰を曲げて涼子をおん
ぶしながら歩く様は何ともカッコ悪いものだったでしょう。10数年前、スーツに黒いコー
トを着て、コツコツと靴音を響かせて、イキッテ街を歩いていたボクに、今の自分の姿を
想像する事はなかったでしょう。涼子はボクを、より所帯じみたおっさんに変えてしまいま
す。
11月3日 涼子と同じ3歳の男の子を含む、4人のご家族が宿泊に来てくれました。そ
の男の子には7歳のお兄ちゃんがいます。食事が済み、僕たちの家族はまた他のご家
族と一緒に食堂で話をしていました。その中にその3歳の男の子も一緒に自分の家族を
離れて遊んでいました。しばらくしてお兄ちゃんが食堂に下りてきました。お兄ちゃんは
弟を抱きかかえて2階の客室に連れていこうとしたのですが、弟はそのまま遊んでいた
いようで、お兄ちゃんに抱きかかえられるやいなや、大泣きを始めました。弟は自分の
部屋に戻されてしまったのですが、一部始終を見ていた涼子が新聞を筒にした棒を持っ
て2階へ上がり、お兄ちゃんの所へ行くと、その新聞でお兄ちゃんの頭を叩いたかと思う
と弟の側に行って ”リョコタンガ イルカラ ダイジョウブ” と持っていたチョコレートを
手渡し慰めていたというのです。しっかりしているというか怖いというか、いつの間にそん
な事をするようになったのでしょうか?子供の成長とは恐ろしいものです。
11月4日 お客さんと随分飲み過ぎて、遅くなってしまいました。ボクはそうでもありま
せんが、お客さんにいたっては何時間飲み続けているのでしょう。半端じゃありませ
ん・・・。たいしたものです。とりあえず今日はこのへんで・・・。
11月5日 薪ストーヴに使う薪を採りに、近所の兄ちゃん達と山へ出かけました。我々
の住まいする所は高社山の北側斜面なのですが、薪を採りに出かけたところは高社山
の南側斜面で、ほぼ裏手になります。同じ山なのですが、北と南では雰囲気が全く違っ
ていて、今紅葉が真っ盛りで、高く青い空になんともきれいな彩りの中、気持ちよく汗を
流すことができました。薪など採らずにビールとおにぎりが欲しかったくらいです。今年
は無理ですが、また来秋時間を作って山歩きを試みたいと思います。
11月6日 奈良からボクの両親が遊びに来てくれました。毎年冬のシーズンに入る前
に、一度は我々が奈良に帰るのですが、今年は少し忙しく奈良に帰れそうにないので、
代わりにと言ってはヘンですが、両親が来てくれました。父親が来るのは随分久しぶり
でなんだか小さくなったような感じがしました。涼子は母親とは仲がいいのですが、父親
のことは少しけむたいようです。そういうことがわかっていても父親は孫を見て笑ってい
るので、なんとなくいいもんだなあ、って思いました。2,3日の滞在ですが、ゆっくりして
もらいたいものです。
11月7日 ”アスク”と”まるつね”というスーパーが近くにあります。と言っても車で10
分程度は走らなければなりません。日々の食材、たとえば牛乳や豆腐、自分たちが食
べるくらいの野菜などはそんなスーパーで済ませます。涼子がまだまだ赤ん坊の頃か
ら、背中におぶって買い物に連れて出かけていました。買い物に出かけるとき、”キョウ
ハ ドコイクノ?” と涼子が尋ねると、その多くの答えが ”アスク”か”まるつね”であり
ました。先日涼子とふたりで例のごとく買い物に出かけました。車の中で涼子が ”リョコ
タンモ ブーブー ウンテンシタイナ、トウサンミタイニ ハンドルシタイナ” と言ったの
で、”涼子も大きくなったら運転してな!運転できるようになったら父さんと母さんをどこ
に連れていってくれる?” と聞くと ”アスク ト マルツネ!” でありました。動物園くら
いの答えを期待していたのですが、スーパーに連れていってもらえるようです。喜んで
いいのか、なんとも孝行娘を持ってボクは幸せであります。 
11月8日 おじいちゃん、おばあちゃんが来てくれているにも関わらず、涼子の機嫌が
あまり良くありません。ボクも女房もここしばらくずっと忙しいので、あまりかまってやるこ
とができません。もうちょっとガマンしてくれ!
11月9日 3泊4日の滞在で、ボクの両親が朝早く奈良へ帰りました。一緒に暮らして
いる時には何かと煩わしく感じたものですが、こうして離れて暮らすようになると、親の
ありがたみというものが身にしみてわかります。奈良で暮らす両親の元へ、または遊ぶ
事が一日の全てであった少年時代へ、帰りたいようで帰ることができず、自分が選んだ
道をただひたすら歩き続けなければなりません。果たしてボクはこれからも人生を自分
らしくまっとうに歩み続けることができるでしょうか?涼子に対して、親というものをボクな
りに伝えることができるでしょうか?おもちゃのような宿泊施設の経営者で終わるかもし
れないボクの人生はまだしばらく続きそうです。いえ、続けなければなりません。
11月10日 なにをするにしても涼子は、”オカアサンシテ””オカアサント・・・” と女房
びいきで、最近ことごとくボクは無視をされてしまいます。例えば、”オカアサン ミルク 
ツクッテ” とボクがミルクをコップに入れようとすると、”オカアサン ツクッテ!” と大
声でボクの行動を阻止します。”オカアサン オシッコ” とボクがトイレに連れていこうと
すると、”オカアサント イク” と差し出すボクの手を無視して女房の所へ行きます。”オ
カアサン アンパンマンノ ビデオ ミタイ” とボクがビデオをセットしようとすると、”オカ
アサン ビデオシテ!” と大声でわめきます。そのうち ”オトウサン クサイ” とか ”ト
イレノ ドア シメテ” とか ”ヨンダ シンブン アチコチ オカナイデヨ” とか ”サンパ
ツ イッテヨ” とか ”チャント ベルトヲ シメテカラ トイレカラ デテヨ” などと計り知れ
ないほどの苦情をボクに浴びせるようになるのでしょう。その時ボクはいったいどうする
のでしょうか?世のお父さん方は家に帰らず外で飲んだりして、あまり家にはいないの
でしょ。気持ち、わかります。父はなかなか淋しくもなるものです。
11月11日 ふと厨房の隅に目をやると、米櫃の上に電卓を置き、鉛筆を持って風呂
のいすに座り、なにかしらメモをとっている涼子の姿がありました。毎日の仕事のひとつ
に現金出納帳への記入があるのですが、ボクがしているのを涼子はよく見ていて、電卓
をでたらめに押して、これまたでたらめにメモ帳に鉛筆で印をつけているのですが、後ろ
姿は一人前のちょっと小さめの事務員さんのようです。忙しい中ふっとそういう光景が目
につくと、必死の形相が一気に崩れてしまいます。本当に事務ができるようになるのは、
いったいいつの事なのでしょう・・・。
11月12日 連日のお客さんとの深夜に及ぶ酒宴が影響して、毎日やつれた顔で仕
事をしていたのですが、今日はお客さんの方も結構くたびれていたようで、早めにお休
みになって、ボク自身も少しからだが楽なのです。酒をたらふく飲み、次の日にはチャ
ント起きて仕事をこなすのですから、みなさんたいしたものです。涼子は我々親が疲れ
ていて、外に遊びに連れていってもらえないので、ストレスがたまっているようで、家の
中では走り回ったり、大声を出してわめいてみたりで大変です。まだしばらく続きそうで
すが、酒の量もほどほどに、涼子ともほどほどに遊んでやって過ごさなければなりませ
ん。
11月13日 久しぶりにギターを弾きました。宿泊のお兄ちゃん達と盛り上がってしま
って、ズンチャカやりました。ボクもウソでも誉めてもらうと嬉しいので、調子に乗って何
曲もやりました。みんな疲れてきてさあ寝るぞとなった頃、チェックインされたお客さん
が、ギターで盛り上がっていた気配を感じたのか、自分も歌いたいと言いだし、ボクも
本日終了と言う感じになっていたのに、またまた第2ラウンドを開始しました。先ほどよ
うやく全てが終了し、みなさん床につかれたようですが、あんなに騒いで明日も仕事に
行けるのか、少し心配です。かくいうボクも朝食の準備ができるか気がかりですが、な
んとかこなします。もっと気がかりは、明日の夜も酒宴が続くかもしれないということで
す。涼子はボクが側にいるときは、ほとんどボクのことなど無視しているのですが、食
堂でお客さんと話したりしていて、何時間も自分たちの部屋に帰ってこないときは、結構
ボクの事を心配してくれているということを女房から聞き、少し嬉しくなってしまった次第
です。父さんはがんばります。
11月14日 涼子と一緒に行くとかなり時間がかかるので、今日はひとりで上越まで
仕入れに行きました。なんだかんだとかなりの時間がかかってしまったのですが、帰っ
てきたボクに ”リョコタンモ イッショニ カイモノ イキタカッタナア” と言われるとなん
だか嬉しくて、少し後悔したのですが、今月はかなり忙しく、また今度連れていきます。
11月15日 2週間足らず宿泊してくださったお客さんが明日チェックアウトされます。
従業員を何人か抱えたいっぱしの社長さんなのですが、なにより気骨があるというか、
実にどんな困難にもブチあたっていく気概の感じられる人で、ボクは久しぶりに大人の
男性に会えた気がして、連日話し込んでしまいました。もっとも社長ご自身も11時、
12時になってくるとろれつが回らず、何を言ってるかよくわからないことが多かったの
ですが、何かこれからの人生のヒントをくれているようで、いつになく真剣に話を聞いて
しまいました。涼子は長く滞在してくださったのにも関わらず、”オジチャン キライ” と
言って、全く近寄りませんでした。おっちゃんの相手は父さんにまかしとき・・・・・ 
11月16日 連日賑やかだった食堂が、今日はとても静かになりました。ボクも女房も
ふっと一息です。涼子も少し穏やかに見えます。とは言え、まだまだお客さんは続きそう
です。久しぶりにテレビや新聞を見ると、政界がおもしろくなってきています。こんなじい
さんに何ができるって感じの人たちがウヨウヨいて、これまた醜く権力闘争をしていま
す。多くの国の指導者がバリバリ働ける年齢の、聞く耳を多分に持った人たちなのに、
この国は何やらじいさん達の、醜い寄り合い所の人たちにまかなわれているようです。
格好の悪い発言や行動は慎んで頂いて、さっさと若い柔軟な思考回路をもった人たち
に仕事は任せてもらいたいと思います。
11月17日 涼子が子供向けのテレビの主題歌を最近よく歌います。ところがメロデ
ィーはあっているようなのですが、歌詞の多くが我々には聞き取れません。何度も歌
わせては真剣に聞き取ろうとするのですが、あまりにも日本語になっていないので、笑
ってしまって聞き取るどころではありません。♪ナナヘー、ナナヘー♪とか♪ナフカカル
ウ♪なんていう言葉が出てきてなんの事やらさっぱりわかりません。一度その主題歌を
きちんと聞いて、どんな歌詞か突き止めたいと思うのですが、その番組が何かもわから
ないので、永久の謎になるかもしれません・・・・・。
11月18日 お客さんから涼子におもちゃの筆箱を頂戴しました。プラスチックででき
たハート型の筆箱には小さな鉛筆と消しゴム、それに鉛筆削りが入っていました。歓声
をあげて包み紙を破り、鉛筆の先だけを入れてぐるぐる回して鉛筆を削る、その鉛筆
削りを見た涼子は ”コレナンダ?” と言ったもののボクはその瞬間に ”やばい” と
感じました。涼子の質問には無視をしていたのですが、鉛筆を持ち、その穴につっこん
でなんと回し始めた涼子に、すぐさま新聞紙を差し出し、その上でやるように指示して、
削り方をやって見せました。その後のことは言うまでもありません。新聞紙の上でかしこ
まって鉛筆削り体験をしているような娘ではありません。至る所に削りかすが散乱し、
よりきれいなお部屋になりました。
11月19日 宿泊のお客さんが今日はありませんでした。冬支度なども徐々にすすめ
ていかなければならないのですが、睡眠不足と疲れがたまっていたので、夕べの泊まり
のお客さんがチェックアウトされ、昼の営業を終えた後、昼寝をして夕方から黒姫の温
泉に行きました。薪ストーヴ用の薪もチェーンソーで切らなければならないなど、何かと
仕事は残っているのですが、今日ばかりは休ませてもらいました。黒姫では所々に雪が
積もっていて、涼子は4月以来の雪に少し嬉しそうでしたが、いよいよやって来そうだな
って感じで、ボクは少し身が引き締まる思いがしました。
温泉は誰も入っていなくて、広
い温泉を独り占めできて、つかの間の極楽気分が味わえました。帰りにドライブインで
食事を済ませて戻ってきました。道路沿いの温度計は、多くが1度でした。明日からま
たお客さんが続きます。ますます寒くなりますが、みなさん気をつけてお出かけください。
11月20日 それにしても爺ちゃん達のグループ闘争は情けない結果に終わりまし
た。政治の話です。結局自民党内の仲間割れだけに終わり、ぼんくら議員は発言中に
コップの水をかけたりするはで、日本人でいることがイヤになってしまいました。こんな
情けない人たちに日本の国を左右されるのかと思うと、いたたまれない気持ちです。
ボクはよく、日本でこのまま暮らしていくのがよいか、もしくはもっと成熟した大人の国で
暮らすのがよいか、悩むことがあります。外国で暮らしていくのは言葉の問題がまず自
分達の前に立ちはだかり、現実的ではないと考えていたのですが、こんなにばかばかし
い連中に自分が働いて稼いだお金が持っていかれているのかと思うと、外国暮らしも
真剣に考えないといけなくなります。自分の親、子供、そして我々夫婦が将来にわたっ
てまともに暮らしていくことができるのでしょうか?あまりにもばかばかしく情けない、こ
の国の有様であります。
11月21日 風呂に入って涼子に手伝ってもらいながら、髪の毛を切りました。切った
髪の毛は涼子が洗面器に入れたお湯で流してくれます。普段は女房に切ってもらうの
ですが、女房が昼間に慣れない包丁を持ち、鈍くさいことに左人差し指の先を爪と共に
切ってしまって、仕事にも差し支えるほどです。ボクの髪の毛は二の次になってしまい
ボクは勇んで自分で切ることにしたのです。涼子は何かと楽しそうにお湯を流してくれま
したが、なかなか自分でやるのは難しいものです。風呂からあがり、女房にかっこよくな
った頭を見せると、”気持ち悪いから、こっち向かんといて!” と売れ残った白豚でも見
るように、あしらわれてしまいました。優しい涼子は普通に接してくれます。来週には37
歳になるボクは一段と大人の哀愁を漂わせながら、北信州を歩き続けるのです。
11月22日 朝起きて食堂から長野新潟両県にまたがる関田山脈を見ると、かなりの
距離にわたって雪が積もっていました。木島平スキー場のある高社山を見てみると、こ
れまた山の頂上から四分の一辺りまでが雪に覆われていました。昼の営業を終えて、
さっそく夏タイヤから冬タイヤに履き替えに行きました。とりあえずいつ雪が降ってきても
大丈夫です。涼子に山に雪が積もったから、もうすぐ家の廻りにも降ってくるよと、山を
指さしながら説明をしましたが、山よりも手前にある柿の実が気になるらしく、涼子の目
はあらぬ方向に向いていました。緊張しているのはどうやらボクだけのようです。
11月23日 宿泊のお客さんが続いているので、ギターの練習などしばらくやっていま
せん。最近度々酒のはいったお客さんからギターを弾けと言ってもらえるので、お調子
者のボクもつい喜んで、指が動かなかったり、のどの調子がイマイチだったりするので
すが、やってしまいます。今日も遅くなりました。涼子がボクに絵本を読んでもらおうと
先ほどまで待っていたのですが、力つきたようです。明日はチャント読むからね、ごめん
ね。
11月24日 朝からひどい霧が出ていました。午前中はずっと曇っていた感じです。
昼からとてもきれいな青空が見えてきました。22日に降った雪の多くがなくなったよう
です。北海道は既に随分前から雪が降っているようで、一年の内半分が雪で閉ざされ
ているようで、雪の嫌いなボクにとっては地獄のような地域です。それでもおかしなもの
で、ボクが憧れる土地は南の方の暖かい所よりも、いつも北の方の寒い地域なので
す。この木島平もボクにとっては雪が降るのに、なぜかすてきな場所なのです。何より
涼子が寒い風が吹く中、走り回れるのですから・・・。
11月25日 夕方ポストを見ると、役場の保健衛生係りからボク宛にはがきが来てい
て、先日受けた健康診断の再検査が必要ということでした。非常にショックで、もしも再
起不能の大病であったらどうしようと、とても暗い気分になってしまいました。だいたい
ボクはちょっとした病気にも大げさなのです。毎年健康診断は受け続けてきたのです
が、再検査という結果でよりピリピリしてきました。今までの結果の多くはコレステロー
ル値が高めだということと、血圧の下の値が高めだということがほとんどだったので、
今回もたぶんこのふたつのどちらかに関する事だと思います。簡単な治療で終わるこ
とを願っていますが、どうなる事やら、人生は長くはありません。
11月26日 涼子に ”お父さん、病気で入院しないといけないかもしれないんだ。毎
日りょこたんに会えないかもしれないんだ” と言うと、涼子はボクの右手を小さなの両
手で握りしめ、”トウサン ドコヘモ イカナイデ” と悲しそうな表情で言ってくれました。
一瞬でもこんなに心配してくれるとは思いもよらず、変なことを言ってしまったと後悔し
ました。29日に健康診断の結果を聞かされるのですが、病についてはすこぶる小心
者のボクは、とても気がかりでなりません。大したことでなければいいのですが・・・・・。
11月27日 さあそろそろ起きようというときに、涼子の顔を見ると、大きく目を見開き
鼻をほじっていました。別に気にかけることもなく、また一度ボクは目を閉じたのです
が、しばらくしてそのほじっていた右手の人差し指がボクの唇を開けようと触り始めた
のです。”こらっ!りょうこ!汚いがなぁ!” と涼子をとがめましたが、涼子はにこにこ
して悪戯をやめません。そのうち顔を叩くは、顔の上にお尻を置くはで、とうとう起こさ
れてしまいました。こんなふうに起こされているうちが、幸せなのかもしれません。
11月28日 朝、長野新潟にまたがる関田山脈のかなりの部分が雪で白くなっていま
した。宿泊のお客さんの朝食を出し終え、9時前から上越方面に買い出しに出かけま
した。思ったほど雪はなくホッとしていたのですが、仕入れを終え家に帰り少し横になっ
て、夕食の準備を始めようとした夕方4時前に外をふっと見ると、だーっと音もなくしん
しんと雪が降っていました。やられたーって感じでしたが、この雪が長く残っていること
は考えにくいので、驚くまでもないのですが、これから4月までの数ヶ月間、雪との闘い
が始まります。さっそく涼子は奈良のばっちゃんに電話で初雪を伝えていました。さあ、
がんばるでぇ!
11月29日 先日来ハラハラしていた健康診断の結果を聞かされました。再検査が
必要なのは肝臓だということでした。もともとアルコール類に強い方ではないし、酒が
ないと一日が終われないというほど飲んべえでもないので、肝臓が悪いと聞いてちょっ
と変な感じがしたのですが、やはり体質にあまり合わないにも関わらず、毎日毎日少量
であっても飲み続けていたのが悪かったようです。女房などはボクの3倍位の酒を毎日
あおるように飲んでいるにも関わらず、なんのおとがめもないので、ボクは少し損をした
ような気がしました。仕方がありません。ちょっと病院に行って診てもらってきます。。。
実は今日、ホントは今日、イヤぁ今日、あのそのボボボクの誕生日なのであります。37
歳になりました。現在のボクは、身長174センチで、74キロとポチャポチャです。10代
20代とすごく女の子にもてた、などと言っても信じてくれる人は誰もいなくて、老けた子
豚が何をほざいてる、という感じで誰も相手にはしてくれません。実際、鏡の前に行くと、
白髪を抜くのに夢中になっていたり、体を横から眺めてみては突き出たお腹を引っ込め
たり、たるませたりして遊んでいる始末。鏡をじっと覗き込んで、目の下の辺りをよく見て
みると、あるはずのなかった細かい無数のしわが縦横無尽に刻まれているのを発見し
たりで、見てくれはよくぞここまで醜くなったという感じです。もちろん健康診断の結果か
らも体の内部にも病気を持ってしまった次第です。暮らしにおいては、ン千万の借金で
終身刑に服しているようなものだし・・・・・。とすると何もいいことはないではないか!
いえいえそんなことはありません。ボクには両親も女房もそして涼子もいます。びっくり
りえたんを拠点にまだまだ暴れてやろうと思っています。見てくれが悪かろうが、病気を
持っていようが、ボクは果てしなく働き、遊び続けてやろうと思っています。
11月30日 宿泊のお客さんの朝食を片づけ、昼食の下ごしらえを終えてすぐに、病
院へ行きました。看護婦さんの仕事というのは大変ですね。多くのお年寄りを相手に仕
事をこなしていくわけですから、並大抵ではありません。サービス業のイロハを理解して
仕事をこなしている看護婦さんはより大変だと思います。周りの患者さんはボクよりみん
なはるかに年上で、ええ若いもんが、なんでこんな所へきとるんや!という感じでした
が、ボクも真剣な看護婦さんにお世話になってきました。健康診断の再検査だったので
すが、先生の話ではそれほど悪くはないということだったので、一安心しました。ただこ
れ以上太ってはいけないと言われてしまいました。まだまだ若い年齢ですが、年をとって
いくので、とにかく健康に気をつけながら、病院で見た看護婦さん達と同じように真剣
な態度でボクも仕事に取り組まなければなりません。

トップ アイコン
トップ

やど

料理

スタッフ
かぶと虫

スキースノボ

山登り
ハイキング

温 泉

空室状況