親バカ父ちゃん子育て日記
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12月1日 この夏、癌を患ったお客さんが大阪からお見えになり、3泊もしてくださいま
した。今朝はがきが届いていました。9月にお亡くなりになったと旦那さんからのもので
した。20代などと比べて、随分涙もろくなったボクはなんか泣けてきました。7月の初旬
でしたが、この人がホントに病気なのだろうかと疑いたくなるくらいに元気でした。8月に
は収穫したトマトを送ったのですが、美味しかったと元気そうな声で電話をくださいまし
た。そして結局その電話が最後になってしまったのですが、なんともはかないではありま
せんか。今あの元気だった奥さんがこの地球上に存在しないなどと、とても考えにくい事
です。涼子が手渡したお守りは気休めだったのでしょうか。”涼子ちゃんのパワーをもら
うわな” と言って涼子の手を握りしめていたはずなのに、パワーは伝わらなかったので
しょうか。なんとも悲しい事です。どうか安らかにお眠りください。
12月2日 最近の僕らの生活はかなり目まぐるしいものです。朝6時に起き、朝食の
準備をします。物音に気づいて涼子も起きてしまうと仕事がひとつ増えてしまいます。
7時前後からひとりふたりと、お客さんが食事に食堂へ下りて来られます。8時にもな
ると全てのお客さんがお出かけになり、素早く後かたづけを終え、再び布団の中に入
ります。10時過ぎに2度目の朝を迎え、布団から出ます。その時の多くは涼子は目覚
めていて、僕らが起きるやいなや、ぺちゃくちゃ何やら話しています。昼食の準備とレ
ストラン営業の準備を並行して行い、その合間の10分くらいに3人そろって自分たちの
朝ご飯を食べます。12時過ぎにはお客さんが戻ってこられ、そそくさと食事をされま
す。1時過ぎから2時頃まで道路を行き交う車の数と、去年までのお客さんの入りを確
認しながら営業を続け、僕らもまたまた簡単な昼ご飯を食べます。その後ボクは買い
物に出かけたり、女房はやり残している掃除をしたりして、3時頃には一通りの仕事が
終わります。それから再々度布団の中に入り、4時過ぎまで眠ります。そして夕食の準
備をして、6時過ぎには宿泊のお客さんが戻ってこられ、夜のレストラン営業も始まりま
す。レストランの営業は遅くとも10時には終わりますが、宿泊のお客さんは飲んで調子
がでてくると、並の時間には終わりません。その日のうちに終わるとこちらはありがたい
のですが、1時2時になることも少なくありません。そしてまた朝6時になると朝食の準備
となり、息つく暇もないとはこのことかもしれません。こういう日が1ヶ月以上も続いてい
ます。もちろん宿泊のお客さんがない日もあったのですが、次の日には昼食から延々と
続きます。ボクも女房も冬のシーズンを迎える前からズタズタのクタクタなのですが、今
日、明日、明後日と宿泊の予約が無く、今日は夜のレストラン営業を臨時休業にして、
我々が一押しする松之山温泉に行ってきました。帰りには国道沿いのドライブインで食
事をしてきました。ホッとしました。週に一度は休みの日がないと仕事は惰性になってし
まって、気づかないうちにお客さんへの気配りができなくなります。忙しいのもほどほど
になってくれれば問題ないのですが、なかなか自分たちのペースで仕事はこなせないも
のです。
12月3日 日記を書くには早すぎる時間なのですが、ちょっと休養に行って来ます。
12月4日 昨日昼3時半頃家を出て、新潟福島県境近く、新潟側の津川というところ
へ行って来ました。以前宿泊のお客さんと温泉の話をしているときに、津川温泉の泉質
がいいと勧めてくれたので行ってみました。ボクはわりと土地勘のある方で、地図と住所
さえあれば日本国内はもちろん外国であっても、どこにでも行く自信があります。ところ
が昨日は目的地に向かう途中で道に迷ってしまって、国道で行けるはずが、高速道路
を利用するはめになってしまいました。雨がザーザー降る中、途中で国道が不通になっ
ていて、迂回路を通らなければならなくなり、街灯もなくなり標識も見失ってしまって、北
を向いているのか、南を向いているのかわからなくなってしまいました。おかげで、ゆっ
くりめの休養をとるために出かけたはずが、女房にも随分疲れさせてしまいました。涼子
だけは車の中で眠っていてくれたので、全く疲れ知らずだったので助かりました。温泉は
さすがにとてもよい泉質で、ゆっくりできました。初めての場所で眠るので、涼子もなかな
か寝つけなかったようです。今朝とても早い朝食を食べて帰ってきました。夕食からまた
仕事が始まりました。じっとしていられないほど寒くなってきましたが、体に気をつけてが
んばらなければなりません。もちろん涼子にも風邪をひかせないようにしないと・・・・・。
12月5日 夜9時を過ぎてボクが出かけ、女房は宿泊のお客さんと話し込んでいまし
た。10時半頃ボクが帰ってくると間もなく、涼子の泣く声が聞こえました。部屋に戻ると
淋しそうな顔をして涼子がシクシク泣いていました。ボクと女房が声をかけると、泣き声
は徐々に大きくなっていきました。しばらくひとりにされて淋しくなって泣いていたようで
す。すぐに風呂に入れたりしましたが、全く泣きやまず大変でした。無理もありません。
まだ3歳なのですから・・・・・。
12月6日 量は多くはありませんが、雪が舞ったり止んだりの一日でした。晴れ間を
見逃さず、やり残している冬支度に取り掛かりました。薪ストーブ用の薪をチェーンソー
で切り、ベンチを片づけ、しばらく動かしていなかった除雪機のエンジンをかけたりと、
気になっていた仕事が少しはかどりました。チェーンソーの音が鳴ると、涙を流して嫌
っていた涼子が、今日は少し離れた位置に座って ”オトウサン、ガンバッテェ!” と
力強い声援をくれました。外での作業を終えるとまたまた雪がちらほら降ってきました。
今年の雪は早く積もるのでしょうか、それとも・・・。
12月7日 温泉に浸かり特徴のある泉質だと、つるつるしたりにおいがあったりしま
す。ボクはよく指と指をこすりながら、涼子に ”つるつるするねぇ” とか、温泉を人差
し指でなめてみて、”しょっぱいねぇ” などと言って湯船に体を沈めていたりします。今
日涼子とお風呂に入っているときに、ボクがする動作を涼子もまねて、”ツルツルスル
ネェ” とか 人差し指をなめて、”カライネェ” などと言うのです。残念ながらウチのお
湯は温泉でもなんでもない普通のお湯なのですが、温泉の事を思い出したのか、こん
な事を言っていました。自分の家に温泉があるなどとは、夢のまた夢ですが、いつの日
かそんなことがあれば人生変わるだろうな〜!
12月8日 最近車に乗ると涼子は、”ナガブチ ツヨシ シテヨ〜” などと言うのです。
CDで長渕剛をかけろ!と言っているのですが、長渕剛が好きな乳児も珍しいと思いま
す。何曲かは口ずさむものもあります。そのうちボクがギターをひいて涼子に歌わせて
やろうと思いますが、そんなことできるのでしょうか?おもしろくなってきました。
12月9日 9月に植えた大根の収穫をしたのですが、それが悲しいことに1本とてまと
もにできたものがありませんでした。大根を作るのは3度目なのですが、今までにこんな
不作はありませんでした。売り物になるほど立派なものができたこともあったのに、今年
は売り物どころか、雑草とその根っこを作ったようなもので、ホントにさんざんでした。お
世話になった方々に送ったりしようかなぁ、なんて考えていたのですが、自分たちの口に
すら入りません。過去2回は簡単に作れたので、同じように考えていたのですが、何でも
簡単にはいかないものです。涼子も連れて大根収穫をするつもりだったのですが、去年
の大根掘りを覚えていた涼子も何やら物足りなかったようです。
12月10日 朝食の準備を終えた朝7時頃、涼子のゴンタが始まりました。あと数時間
は寝ていなければならないのに、物音に起こされたのか泣きながら寝室から厨房へやっ
てきました。女房に抱きかかえられて、一旦は静かになったのですが、まだまだ寝たりな
い涼子はまたまたぐずり始めました。”ごんたばっかり言うとったら、カミナリさん来るよ”
と、怖い顔をして言ったら、今度は大泣きをされて、朝食の忙しい時間から大変なエネル
ギーを使いました。仕事に子育ては楽しみながらやらなければ!とどこかにも書いてあり
ましたが、つらい日もたくさんあります。
12月11日 昼2時前に長野に仕入れに向かいました。飯山市内で少しの買い物をし
て車に乗り込んだときは雨でした。涼子は雨にあたるのが何となく嬉しそうでした。普段
は国道を走っていくのですが、今日は満室で夕食の準備にいつもより早く取り掛からな
くてはなりません。高速道路で長野にたどり着くと雨はいつしか止んでいました。車の中
は暖かく涼子は眠ってしまいました。仕入れを終え豊田飯山のICに着くと、雪が混じった
雨でした。そうするとやはり予想通り木島平はすごい雪で、今午後11時になるところで
すが、ずっと降り続いています。8時頃外を覗いてみたときはそうでもなかったのです
が、今はかなり積もっています。明日朝の外の景色はどうなっているのでしょうか???
12月12日 今年で5回目の冬を木島平で迎えるのですが、12月中に除雪機を使っ
て除雪をしたのは初めてです。あれほど嫌がっていた涼子もチェーンソーに引き続き
除雪をするボクに声援をくれました。去年は雪道を随分うまく歩けるようになったと思っ
ていたのが、今年の涼子はスコップで雪かきならぬ、雪まきもできるようになりました。
お客さんにとっては待ち遠しい冬、ボクにとっては地獄の冬がとうとうやって来たようで
す。
12月13日 一日料理をしていました。今朝5時半に起きて、今正確には14日の午前
2時40分です。風呂はやめて寝ます。涼子にここ2,3日本を読んでやっていません。
いつも寝る時ボクの隣に陣取って、布団の中に本を隠し持ち、ボクの姿が見えると、
”ジャーン!” と言って隠していた本をボクに見せます。そんな涼子も既に眠っていま
す。さぁ、6時前まで眠れるかしら・・・。
12月14日 実は涼子は未だにウンチをトイレではできず、おむつの中でします。ウン
チが出そうになると、おむつに履き替えさせてと、どんな時であろうと我々の所へやって
きます。今日も領収書を整理している時にやって来たので、”涼子はいつになったらお
便所でウンチするの?お便所でできない人の所にカミナリさんがやって来るよ” と脅か
してやると、”ジャア オベンジョデ ヤッテミル” と言ったので、すかさずトイレに連れて
いきました。それがなんと数分がんばって、ウンチがいとも簡単に出たのです。ひと月程
前にはまだ全然だったのですが、今日はちゃんと出たのでホッとしました。何よりがんば
った涼子本人がとても嬉しそうで、”ヤッタ、ヤッタ、ヤッタ〜” と飛び跳ねていました。
明日はどうなる事やら・・・・・。
12月15日 ボクに男の子の子供がいたりすると、おそらく山登りなんかに出かけて
雄大な山の景色を眺めながら、ふたりで立ち小便など喜んでやっていると思うのです
が、悲しいかなボクには娘が一人いるだけでそういった意味では、子供とふたりでバカ
なことはできません。それが今日大自然のど真ん中ではないのですが、風呂に入って
すぐに涼子が、”オシッコ スル” と言ったので、”ちょっと待って!父さんもする” と
”せ〜のぉ!” の合図のもと、親子同時小便大会を催しました。ふたりとも小便を終え
ると顔を見合わせて大笑いしました。へんな親子であります。
12月16日 外で足を滑らせた涼子が膝にほんの少し怪我をしました。風呂に入り、
2ミリほどの傷がしみるらしく、風呂からあがるとオロナイン軟膏をつけてやりました。
薬を塗るボクの手を見て ”トウサンモ ヌラナキャ” と自分の手をよく見てみると、手
の甲は既にあかぎれがいっぱいで、指の先は所々に傷があり、また難解な迷路のよう
なひび割れが親指を始め、他の指にまで及んでいました。もう何日も寒い日が続き、
忙しさに手の傷など全く気づきませんでした。これから春まであかぎれ君とひび割れ君
とのおつきあいです。お手柔らかにお願いします。そして涼子がこの冬はボクの傷を心
配してくれるまでになりました。
12月17日 テレビでイギリスの風景が映されていました。イギリスは大きく分けてイン
グランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと4つに分かれます。テレビで見た
のは田園風景の素晴らしいところで、また行ってみたくなりました。24歳の時にイングラ
ンドに半年くらい滞在していました。主にいたところは海沿いの街で、今日テレビで見た
景色とは全く違うところなのですが、長い海岸線のあるすてきな街でした。まだまだ見て
いない風景が、ボクにはたくさんありすぎて困ってしまいます。今の暮らしを続けながら、
これから将来、どんな素晴らしい風景と出会えるのでしょうか。また、涼子にも見せてや
れるのでしょうか。人生はあまりにも短く思います。
12月18日 夏の終わりから続いた工事のお客さんがようやく終わりになりそうです。
二転三転し工事が中止になったこともありました。秋の間中ずっと宿泊して頂いたわけで
はありませんが、入れ替わり立ち替わり様々な業種の人たちがお見えになり、何かしら
家族のようなつきあいができて、宿をやっている者として、こんな幸せな事はありません。
嬉しいことはそれぞれの人たちに家族があり、その家族を連れてまた次回は観光客と
して遊びに来ると言ってくださる一言です。実際に仕事の合間に奥さんや子供さんを連れ
て遊びに来られたこともありました。一組一組と、仕事にけりがつき、地元にお戻りになる
とボク自身の張りつめた緊張感もひとつひとつほぐれていくようで、それがまた淋しくもあ
り、変な気分です。とは言ってもまだ年末までは工事は続くようです。涼子は”オッチャン
キラ〜イ” と言って、ほとんどお客さんの前に出ませんでしたが、後しばらくボクも女房
も全力で仕事を続けるつもりです。
12月19日 朝食の準備をしている7時頃に涼子が起き出してきました。まだまだ寝た
りない涼子は女房の所へ行って、靴下をはかせてくれと言っていました。女房は食堂と
厨房の間の往復で忙しくて、涼子をかまってやる時間はありませんでした。ボクは一時
手を止め、タンスから涼子の靴下を取り出し、はかせてやろうとすると ”トウサンハ シ
ゴト シテレバイイヨ” と偉そうに言ったのに腹が立ち、”ごちゃごちゃゆうとったら、ほり
だすぞっ!” と朝からきれてしまいました。忙しいときは家族みんなが協力しなければ
なりません。涼子と言えどもそうなのですが、まだまだ3歳児なのであります。
12月20日 比較的新しい歌で、長渕剛の”三羽ガラス” というのがあります。歌詞の
中で ”カラカラ カラカラ 今鳴いたカラスがもう笑う” という部分があるのですが、涼子
がその部分を口ずさみます。”ケロケロ ケロケロ イマ ナイタ カラスガ モウ ワダウ
〜” とカラスではなくてカエルのようなのです。乳児が口ずさむような歌ではないのです
が、涼子は長渕剛がどうも気に入っているようで、嬉しい限りであります。
12月21日 ほんの悪戯のつもりだったのでしょう。先ほど涼子が自分のウンチを女房
にとってもらった後の話です。テレビの部屋の灯りだけで厨房で仕事をしていた女房に、
涼子が部屋のふすまを閉めて厨房を真っ暗にしたのです。普段ならほんの悪戯で済んだ
のでしょうが、女房の疲れもかなりピークに達していて、涼子はギャンギャン叱られてしま
いました。助けを求めてボクの所へ泣きながらやって来た涼子は女房に謝りましたが、い
つも大人の仕事のとばっちりを受ける涼子もかわいそうなものです。がんばれ涼子!
12月22日 クリスマスプレゼントは何がいい? と涼子に聞くと、”ブーブー ト ジョセ
ツシャ” と言います。車と除雪機の事を言っているのですが、何度聞いてもそう答えま
す。どちらもボクが主に扱っているものなのですが、車についてはとにかくハンドルに触
れたいようです。助手席から運転席を越えて、涼子を車から降ろすことがあるのです
が、少しでも運転席に近づくとハンドルを握って、”ブーブー” とやります。除雪機はつい
この間まで、音が鳴っただけでも泣きわめいていたくせに、今では何か除雪機の操作を
やりたいらしく、部屋の中で思い出してはそれを動かす真似をして遊んでいたりします。
どちらも買ってやることは難しく、またミニカーなどでその代わりになるとは思えません。
妙なものが好きになったようでどうしたものでしょうか・・・・・。
12月23日 お風呂でオシッコの話ですが、先日来涼子とボクはお風呂に入るなり、並
んでオシッコをしているのですが、妙な事に気づきました。それは涼子が立ったまま用を
たし、ボクがしゃがんだ姿勢でやっているのです。これは逆です。どうして涼子はしゃがま
ず、立ったままオシッコをしているのでしょう?変な親子ですみません。
12月24日 長かった秋がもうしばらくで終わりそうです。秋から続いたお客さんがとう
とう終わりそうです。やはり淋しい気分になります。朝食、昼食、夕食とかなり大変な日々
が続きましたが、もう後数日で終わりそうです。う〜ん、ホントに終わってしまうのかしら
って気分です。最後の仕上げをがんばってもらいたいものです。我々夫婦も、もちろん
涼子も含めて最後までおつきあいいたします。
12月25日 結局ボクは涼子にクリスマスプレゼントを何一つ買ってやりませんでした。
理由はいくつかありますが、何も買わなかったのです。ところが涼子というヤツはホント
に恵まれた娘で、何人かのお客さんがわざわざ涼子にプレゼントを持ってきてくださった
のです。果物やお菓子、おもちゃなどなど、本来は親であるボク達夫婦が用意してやら
なければならないのに、頂いてばかりでなんとも恐縮するばかりです。本当にありがとう
ございます。
12月26日 昨日から降り出した雪が今朝は50センチ程度積もっていて、朝食をだし
たあとすぐに除雪機で除雪を始めました。昼から上越方面に仕入れに行く予定だったの
ですが、あまりの雪の多さに日を変えようとも思いました。でも日をずらすほど日程的に
も余裕はなく、しぶしぶ出かけることにしました。長野新潟の県境はものすごい雪で、雪
にタイヤがとられ、道路を自分の車でふさいでしまったりもしました。幸いにも事故はなく
済みましたが、雪道をなめていると本当に大事故につながります。当然ながらボク自身
もより気をつけなければなりませんが、これからスキーにお越しになるみなさんもぜひと
も安全運転でお出かけください。
12月27日 久しぶりに1日休みが取れました。遅くまで寝坊をして、とりあえず温泉に
行こうと、栄村の北野天満温泉に行きました。忙しい年末のそれも真っ昼間に出かけた
ので、温泉は貸し切り状態で久しぶりに骨休めができました。温泉を出てスーパーで弁
当を買い、信濃川が見下ろせる位まで山道を登り、雪景色を眺めながら遅い昼食を食
べました。時折雪が舞う日ではありましたが、澄んだ青空が見える時間もあり、露天風
呂に、外での弁当などで、ほんの少し疲れがとれた気がします。明日からは冬のシーズ
ンに入り、多くのお客さんにお越し頂きます。スキー場も我々の準備も万全です。涼子を
担当の母にも来てもらいました。どうかみなさんお気をつけてお出かけください。
12月28日 母も寝る時間になり、ボクも女房もまだまだ大忙しでした。トイレに行くた
め厨房から僕らの部屋へ行くと、涼子がひとりでパンをかじっていました。もちろんボク
自身も夕食もとらずに動き回っていたのですが、涼子がかわいそうでなりませんでした。
家族のための仕事のはずです。幼い涼子を犠牲にすることはボクの生き方に反します。
営業方針を変えます・・・。
12月29日 母と涼子を連れてスーパーに買い物に出かけました。ボクと涼子だけだと
見向きもしないマネキンのおばちゃんに、母と涼子はなにか美味しそうな試食品をもらっ
ていました。涼子にとってはとてもたくさんの量で、なかなか食べきることができません。
母はその場にしゃがみ込み、涼子の食べるのを待ちました。買い物をしながら遠巻きに
ボクは母と涼子を眺めていたのですが、こういう瞬間を涼子は大きくなっても覚えている
のしょうか。おばあちゃんと一緒に食べた暮れのスーパーの試食品。覚えているのはボ
クだけかもしれません。
12月30日 母が涼子の相手をしてくれるので、我々夫婦がかまってやれなくてもご機
嫌です。昨年などはたまに女房の事を思い出しては泣いていたりしたのですが、今年は
随分お姉さんになったのか、泣き出すこともほとんどなくなりました。ほんの少し僕らの
負担が軽くなりました。
12月31日 ”望郷じょんから”という細川たかしの歌があります。ボクはそこそこうまく
歌う自信があって、カラオケなんかでは十八番にしているひとつなのですが、先ほど紅白
歌合戦で本物を聞きました。さすがという感じで恐れ入りました。テレビやラジオでの歌を
聞いてもあまり上手だなとは思ったりしません。それどころか ”へたくそやなぁ” などと
思うことがほとんどなのですが、本物の”望郷じょんから”はさすが一流でした。新世紀は
ボクも一発かましたろか!と思ったりしますが、歌ではどうにもならないのは過去20年
足らずの経験で実証済みですので、なんとかボクも先ほどの一流に近づけるような生き
様をさらしたいと思います。

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