親バカ父ちゃん子育て日記
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2001年
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1月1日 夕べから降り続いていた雨はいつの間にか雪に変わっていて、窓を少しあけ
たままにしていた食堂には、雪がほんの少し積もっていました。細かい雪が午前中降り
続いていましたが、正午前には止んで良いお天気になりました。年賀状をいくつかもらい
ました。長野に来てからお世話になり続けている、70歳になる社長から新年の挨拶に
と、電話を頂戴しました。先日テレビに出たのを社長は見てくださっていて、何かとても
照れくさく、恐縮しました。たくさんのみなさんに支えられ、わがままなボクでもこうして暮
らしが成り立っているのが実感できた新年初日でありました。涼子は当然ながら今日は
お正月よ、と言ってもなんの事だかわからない様子でした。今年もみなさんに支えられな
がらの一年になるようですが、どうぞよろしくお願いします。
1月2日 朝から涼子はまたまたボクに叱られていました。ミルクを飲むとか飲まないと
か、朝食の準備で忙しい中、とてもつまらない話で涼子とボクは対立し、涼子は泣いてし
まいました。朝食を出し終え、ボクは買い物に出かけました。買い物に出た後、いつまで
も泣きやまない涼子に、母は ”早くごはん食べて、ゲレンデ行って遊ぼ!” と言ったら
しいのです。それに対して涼子は、”今泣いてるところだから、ゲレンデに行けない” と
言ったというのです。何を冷静に話しているのかと、大笑いしたのですが、今年もまた少
しずつ成長するのでしょう。我々大人も涼子に倣って少しでも成長を続けたいものです。
1月3日 夕食の後いつものように、ボクの背中に馬乗りになっていた涼子が、ボクの
頭をめがけて小さくではありましたが、唾を吐きました。悪気があったわけではなく、また
唾が本当に飛んできたわけではありませんが、それを見ていた女房が涼子を叱りまし
た。一言二言目は知らん顔を続けていた涼子も、女房のただならぬ勢いに負けてしまっ
て泣いて謝っていました。子供が泣いているのはかわいそうで仕方ありません。しかしな
がら、悪いことは悪いと叱ってやらなければならない場面が、これからたくさん出てくるで
しょう。子供にとっても試練ですが、親にとっても試練なのであります。
1月4日 明け方近くから雪が降り始めたのでしょう。朝起きたときには、それほど積も
っていなかった雪でしたが、今午後10時前ですが、まだ降り続いています。除雪も何度
機械を使ってやっても雪の量にはお手上げです。こんなに雪が降っていても都会から
やって来るお客さんの何組かは、雪のない道路と同じようなスピードで車を走らせていま
す。どうか雪道では本当に注意して運転してください。涼子も今日は一日家の中にいた
ので、元気がありあまり、暴れ放題です。
1月5日 午後10時45分ですが、まだ雪はやみません。降っているのはスキーヤーが
好むパウダースノーで、ふかふかのさらさらなのですが、これがまたやっかいで、一度
凍り付いてしまった雪道の上にこれが降ってしまうと、人は転びやすく、車は滑りやすい
のです。ボクも含め今日は多くの人が転んだのを見ました。車好きで通っていて、尚か
つ大きな除雪車のプロの運ちゃんでもある、近所の兄ちゃんまでもが自分の自動車で
接触事故を起こしてしまうほどでした。お客さんにいたっては、2駆の乗用車にスタッドレ
スタイヤを履いていたのですが、いったん滑り出すと全く車としての機能は果たせず、
ジャフを呼んだ程でした。どうかみなさん本当に安全運転でお出かけください。自然を、
雪をなめていると、ただでは済みません。涼子は買い物に連れて出た以外は家の中で
した。
1月6日 昼過ぎから晴れ間が出てきました。ゲレンデの雪遊びから帰ってきた涼子と
母でしたが、涼子はまだまだ元気で、家の前の道路がにわかそり専用ロードになり、去
年などはそり遊びを怖がっていた涼子も、今年は何度も滑りたいと、そり遊びの相手に
疲れてしまいました。とは言うもののボクも結構喜んでいて、ギャーっと奇声を発しなが
ら涼子を前に乗せて滑る様は、トドが氷上で狂っているようだったに違いありません。
スキーなどやらないボクですが、やはりそり遊びであれほど楽しいのですから、スキーに
せよ、スノボにせよ、はまってしまうのがわからないでもありません。涼子もそのうち本格
的にやるんだろうな。ボクにできないことをやるようになるなんて、ちょっと悔しいです。
1月7日 夕べ12時過ぎに布団に入った後、横に寝ていた涼子に起こされました。がさ
がさと立ち上がったかと思うと、”ウンチ” と一言。”おまえウンチかぁ!” と一瞬腹立た
しく思いましたが、パジャマ姿の涼子に上着でも掛けてやろうと、もうろうとした意識の中
で思ったのもつかの間。眠ってしまったようで、”お父さん!ウンチとって!” の声に再
び目を覚まし、”なんで今頃ウンチやねん!” とすっかり眠ってしまっている女房を横目
に、ぶつぶつ言いながら真夜中のウンチ取りを執り行ったのでありました。久しぶりの
真夜中の業でありました。
1月8日 宿泊のお客さんが今日はなかったので、みんなで上越方面に仕入れに出か
けました。一通り仕事を終えて、名立町と言うところにあるろばた館という温泉施設へ行
きました。冷えた体に熱い温泉はたまらなく気持ちのよいものでした。涼子はお湯が熱
すぎて湯船に入るのを嫌がって、持っていったおもちゃで遊びに没頭していました。日本
海沿いのドライブインで食事をして帰ってきました。つかの間の休息でありました。
1月9日 昨日ほんのわずかな時間でした。温泉に浸かり、食堂で食事をしました。自
分で風呂の準備をすることもなく大きな熱いお風呂に入れ、自分で準備をすることなく、
”カレイの煮付け” とひとこと言うとそれが食べられる。食べ終われば片づける必要も
く、”ごちそうさま” と言うだけで済んでしまう。そして帰れば仕入れの後の片づけがあっ
たものの、それを済ませば布団をひいて寝るだけ・・・。とそんなわずかな我が家にとって
の贅沢で今日は女房もボクも、それから母までもが体が軽く過ごせました。ちょっとした
リフレッシュは必要です。涼子はどんな気分なのでしょう?大人にとって都合良く考えると
普段は仕事でかまってもらえないのが、昨日は長く一緒に、それも我々夫婦がご機嫌だ
ったので、ほんの少しは嬉しかったかもしれません。そんなふうであればよいのですが、
どうでしょうか・・・・・。今日からまたしばらく忙しい日が続きます。またますます寒くなって
いきます。健康に注意してがんばらないといけません。
 
1月10日 本を読める位の時間が作れました。母もいてくれるので、涼子の世話のい
くらかは任せたまま、少し時間がもてました。母も寝てしまって、ボクがまだ夢中になって
本を読んでいると、涼子が絵本を読めとうるさく言います。何やら先日も10冊程度新し
い本を女房は買ったようで、本読み担当はボクのようです。布団の中で涼子が待ってい
ます。今日はこの辺で・・・・・。
1月11日 初めてスキーをしたのは今から20年ほど前の高校生の頃です。山岳部に
所属していたボクは、スキー合宿に兵庫県のハチ北高原というところで初めてスキーを
しました。それから春山合宿で、白馬乗鞍に行きました。スキーを担いで登り、滑って下
りて来ました。現在までのスキー経験というのは、日数にして、約5〜6日間くらいでしょ
うか。2度とスキーなどやらないだろうな、ってずっと思っていたのですが、それがどうい
う風の吹き回しでしょう。今日は快晴で人もなく、時間もあったので、ボクもスキーをやっ
てみることにしました。そして、涼子も初めてスキーを履きました。ボクは20年ぶりにス
キーを履いてムリヤリ、リフトに乗りました。ゲレンデにはお客さんはまばらで恥もかき
やすい状況でした。まず涼子は女房におんぶをしてもらって、上から下りてきました。と
ても嬉しそうでした。それから涼子はスキーを履きましたが、少し練習すると悔しいかな
何となく滑っているのです。涼子より少し上の、4歳になったばかりという女の子もお父さ
んと滑りに来ていたのですが、その子が実にまた上手に滑っているのです。そしてボク
はといえば、やる気だけは満々だったのですが、リフトから下りて直後にすってんころり
ん!それから転ぶは、転ぶはレゲエに狂った氷上のトドのようにほとんど人のいないゲ
レンデをのたうち回っていました。悔しいのは転んで立ち上がるに立ち上がれないでい
るときに、その前を4歳の女の子がシューっと滑っていくときです。かっこ悪いですよ〜。
ボクは生涯その女の子には見向きもされないんだろうなぁ、って思うとなお悔しく感じまし
た。涼子は何となく、ホントに何となく滑っていました。3歳の涼子と37歳のボクは同じス
タートラインに立ちましたが、結果は目に見えています。悔しいなぁ。なんとかならないか
なぁ。どうしようもないなぁ。。。
1月12日 ”今度休みの日にはどこに行こかぁ” と涼子に聞くと、”スキー行こ” と答
えました。ほんまかいなぁ!って思いましたが、昨日のスキーはそこそこ楽しかったよう
です。”お父さんはどうして転ぶの?” と聞くので、”父さんはスキーできないんだ、へた
くそなんだよ” と言うと、”りょこたんが助けてあげる、昨日も助けてあげたでしょ” と
ボクが転びながら下りてくる様を見て、両手を広げて山を登ってきていたと女房が言う
のです。なんとも親思いの娘ではありませんか。次の休みにスキーね・・・。温泉にしよ
うぜ!!!
1月13日 忙しくなってくると、考えるのは外国旅行の事ばかりになります。なんとかこ
の忙しさを乗り切って、どこか知らないところへ行こうってがんばるのです。春になって
もし外国に行けるとしたらって考えると、単純なボクはとても嬉しくなってきて、あそこが
いいイヤここがいいなどと、写真でしか見たことのない風景を思い出しては結構ニタニタ
しています。なぜかボクは北の方が好きで、今度こそはノルウェー、フィンランドにしよう
とか、やはりもう一度カナダにしようとか、たまねぎを刻みながら、除雪機で雪を飛ばし
ながら、雪がかぶった山の稜線がはっきり見える湖の畔で、暖かいコーヒーなんかを白
い湯気を小さく立てながら飲んでいるのです。そんな空想の世界にいると、突然 ”お父
さん、ウンチ” と声がしたりします。やはり外国旅行に行くには、女房も子供も放ったら
かしたまま、美人のお姉さんとふたりで行くのが一番だと思ったりします。
1月14日 朝からひどい雪になりました。起きたときにはそうでもなかったのですが、
見る見るうちに雪と風が強くなり、ちょっと先も見えなくなるほどでした。おかげでと言っ
てはなんですが、宿泊のお客さんがチェックアウトされると昼の食堂の営業はさっぱり
で、本を読むための時間がとれました。母がいるので、涼子の子守のほとんどを任せて
いて、我々夫婦は少し楽をしています。除雪作業さえなければ、冬につらいことは何も
ありません。
1月15日 グリンデルワルドの別荘の前で写した写真を小さな額に入れて、パソコン
の本体の上に
置いてあります。既に1年以上も置いているのですが、今日保険の営業
の人が写真を取り入れたカレンダーを作ってくれると言うので、その写真を渡しました。
その現場を見ていた涼子が、”グリンデルワルド、あげちゃヤダ!” とすねたような、怒
ったような顔をして言うのです。最初は何を言っているのかよく聞き取れず、突然怒りだ
した涼子に、変なヤツだな位に思っていたのですが、涼子なりに思い出があったので
しょうか。すぐに返してくれると言っても、なかなか理解してくれませんでした。ボクにとっ
てもとても大事な写真のひとつですが、涼子にとってもそうだったようで、何か少し嬉しく
思いました。
1月16日 昨日のテレビで、青森でマグロの漁師をしている人たちを特集していまし
た。吹雪の中マグロを追って漁をしていました。今日のテレビでは、心臓手術をする心
臓外科医というお医者さんのことを特集していました。余命半年と診断されたような、心
臓を病む患者さんを手術し、成功させていました。ボク自身が存在しているのが恥ずか
しくなるくらいに、命がけで仕事をなさっていました。果たしてボクは彼らほどに真剣に仕
事をこなしているのでしょうか?やはりノーであります。職種は違うにせよ、彼らと同じレ
ベルで仕事はこなさなければなりません。自分自身が人間として情けなく感じました。
う〜ん、負けられない・・・。
1月17日 毎年正月を終えて幾日か過ぎると、誰かが風邪をひき、家族みんなが順番
に熱を出しています。ところが今年は1月半ばを過ぎても、みんな元気なのです。もうそ
ろそろ危ないかなぁ、と思っていたら、連泊をされているお客さんが熱を出したようで、病
院に行かれました。体が資本です。気をつけなければいけません。何より涼子には特に
気をつけなければなりません。
1月18日 先シーズンは12月の頭に大雪があって、それからほとんど雪が降らず、次
に大雪のあったのは、1月20日を過ぎてからでした。ところが今シーズンは、降るは降
るはで、ほとんど毎日除雪の連続です。今日などは一通り駐車場の除雪を終えて、最初
に除雪した場所を見てみると、既に数センチの雪が積もっていて、うんざりしました。こん
なに雪の降る年は木島平に移住して初めてです。おかげで涼子は外に出て遊べないの
で、家の中で大暴れです。ちょっと休憩しようとしても、すぐにまとわりついてきて、ボール
をしようとか、お相撲をしようとか、ひとり狭い家の中を走り回っています。まだ後1ヶ月
は雪の勢いはやまないでしょう。闘いはまだまだ続きます。
1月19日 野球選手の駒田選手が引退しました。約20年間ものすごい活躍でした。
昨年はダイエーの若井選手が引退しました。このふたりが野球界にいたので、この20
年、興味をもって野球を見ることができたのに、非常に残念です。ボクが中学1年の時、
若井君を応援演説に従え、生徒会に立候補しました。当時10名くらいが立候補しまし
たが、その中にひとつ年上の駒田さんがいました。当時からとても背の高い人で、よく
目立った人でした。3名を生徒会長、副会長に選ぶ選挙だったのですが、ボクは若井君
のおもしろおかしい立ち会い演説にも助けられ、2番で当選しました。しかしながら駒田
さんは落選しました。よく笑い話をするのですが、当時はボクが彼らふたりに一歩リード
していたのですが、年を経る毎にたいして努力もしない、能力のないボクは彼らからず
んずん突き放されて、1万歩くらいリードされてしまいました。基安(若井君のこと)は今
ダイエー球団に残り、スカウトの仕事をしているようです。とくちゃん(野球部の連中は
駒田さんのことを”とく”と呼びます)はこれからどうするのでしょうか?まだまだ人生は
長いですが、新たなる活躍に期待したいと思います。本当にご苦労さまでした。
1月20日 久しぶりに今日は除雪をしないですみました。涼子も久しぶりに母とふたり
でゲレンデに遊びに出かけました。雪が小休止なので、ほっと一息です。涼子はゲレン
デに遊びに行った日は、さすがに普段より疲れているようで、よく眠ります。また、ごはん
もよく食べます。天気の良い悪いに関わらず、涼子は外で遊んだ日はご機嫌です。ボク
はと言うと、除雪をするのに外で過ごした日は、腰は痛くなるし、仕事は増えるしいいこと
は全くありません。早く除雪から解放されないかなぁ・・・。
1月21日 最近スーパーで買い物をするときは、母と涼子と3人で出かけます。店内に
入ると、ボクはひとりになって必要なものをダーッと買います。その間母と涼子はなにや
ら店内を物色しています。先日母と涼子が鏡の前を通ったときに、”ばっちゃんはすごい
顔をしてるなぁ!” と母が涼子に言ったら、涼子は ”ばっちゃんはかわいい顔してる
よ” と言ったというのです。それを聞いた母が大笑いをしたので、涼子も笑っていたと
いうのですが、涼子が言うかわいいというのに、もう一つヘンなのがあって、ボクがおな
らをすると、”かわいいぷう” とすかさず言うのです。ヘンでしょ。ボクが随分前に教育し
たのですが、未だにヤツは覚えていて、いつでもどこでもどのような状態でも、おならが
聞こえると ”かわいいぷう” と言うので、少々恥ずかしくなります。母はどんな気持ちで
涼子のかわいいという言葉を、聞き取ったのでしょうか・・・・・。
1月22日 除雪機の機械の中にあるベルトが切れて動かなくなりました。他のベルトも
チェックしてみると、切れそうなのもあって、販売店にベルトを買いに行きました。5シー
ズン目にもなるので、いろんなところが痛みかけてきています。建物や機械もそうです
が、我々人間もあちこち痛くなったりします。しかしながら全く弱っていないのが、涼子で
あります。涼子だけはホントに元気です。ちょっとその元気わけてんか。
1月23日 同じ年の男の子と、ひとつ年上の女の子が宿泊に来てくれていて、涼子は
またまた大ハッスルです。食事のオーダーが混んで、ごった返している中、3人のチビ
ちゃんは食堂から厨房から客室など、走り回るには狭すぎるのに、大はしゃぎです。た
だ、はしゃいでいるのは子供達だけではなく、大人のみなさんも今日はものすごく盛り上
がっていらっしゃいます。昼間はスキーで楽しんで、夜は家族や気の合う仲間と飲んで、
話して・・・、なんか毎日のように見ている景色なのですが、今日はまたいつもより羨まし
く感じました。楽しい思い出作りのお役に、少しは立てているのかもしれません。
1月24日 昨年の秋に健康診断を受けて、肝臓が悪いという数値が出たのですが、
結局たいしたことはありませんでした。20代の初めから健康診断を受けてきて、いつも
よくないと言われているのは、コレステロール値と中性脂肪値が高いということです。今
日初めて栄養士さんから指導を受けたのですが、地獄のような献立で、情けなくなりま
した。今まで通りの食生活で別にどうって事ないらしいのですが、10年、20年後に大き
な病気になる恐れがあるということで、シュンとなって帰ってきました。親がかかっていた
ような病気というか、症状になって、ボクも少しずつ年を取っているのがわかってきます。
涼子がより元気に走り回っているのが、とても悔しく感じます。
1月25日 今日は宿泊のお客さんがありませんでした。夕べ宿泊されていたお客さん
がチェックアウトされると、組合の仕事やその他、やり残していた雑用を済ませ、上越方
面に仕入れに出かけました。日中は雪もやんでいて、長野新潟の県境は比較的楽に運
転できました。ダダダーッと買い物を済ませ、車に燃料を入れている時、ガソリンスタンド
の前にボーリング場があり、母が30年くらいやっていないという話になり、それじゃあボ
ーリングをしようとやってみることにしました。涼子も参加のレクレーション大会は、スコア
が全員100にも届かず、盛況のうちに終わりました。それでも心地よい汗をかいた後、
上越市内の山奥にある温泉に行き、海沿いのドライブインで食事をして帰ってきました。
ほんの一瞬の休憩時間でありました。明日からまたしばらくがんばります。
1月26日 除雪を終え、ふと庭に植えてあるシャラの木を見ると、ほんの小さくではあ
りますが、新芽が出ていました。下半分は雪で覆われているのですが、よくよく見ると新
芽がありました。こんなにも寒く、春は本当に来るのか心配になりそうな気候であるにも
関わらず、彼らなりに春を感じているのでしょうか。緑の葉が一日も早く見られればと思
います。今日はヒトかけも雪は降りませんでしたが、明日はまた大雪だということです。
涼子はシャラの木に産み付けられた、カマキリの卵を不思議そうに眺めていました。明
日はこの卵も再び雪に埋もれることになるでしょう。
1月27日 夕べのお客さんの多くが深夜着でありました。11時着、12時着、1時着で
それからお風呂があったりで、寝床についたのは午前2時半位になっていました。それ
からどういう訳かなかなか眠ることができず、気が付くと6時半で、起床時間でした。涼
子もなんだかいつもより早く目を覚まし、ぐずぐず言ってました。テレビを見ると関東方面
に雪が降って、交通機関が混乱していると伝えていました。たいした量でもないのに、雪
の装備ができていないので、混乱しているようでした。ノーマルタイヤで雪に降られたら
びっくりしますよね。木島平は普段と変わらない雪の量で、今夜もまた積もりそうです。
今日は早く眠りたいけど、先日またまた増えた涼子文庫を読まされそうです。
1月28日 食事時間の不規則が一番の原因だと思うのですが、涼子は食事時にしっ
かりごはんを食べず、食事が終わると ”何か、食べた〜い” とよく言います。規則正し
く食事をとれば、間食などなくなると思うのですが、忙しい時間に ”何か、食べた〜い”
と言われると、どうしようもなく、パンを食べさせたり、スープを飲ませたりしてしまいます。
理由がわかっている分、ご飯時にごはんを食べなくても叱るわけにもいかず、春になっ
て、お客さんの数が落ち着くまで、涼子には迷惑をかけてしまいます。
1月29日 買い物に出かける前、ジュースを小さめのペットボトルに入れ替えて、持っ
て出ることがよくあります。もちろん涼子のためのものです。今日いつものように、ジュー
スを移し替えて、ペットボトルのふたをしようとすると、ふたがいつもの場所になかったの
で、涼子に ”ペットボトルのふた、知らんかぁ?” と答えを期待もせずに聞いてみると、
”ここにあるんじゃない?” と引き出しをあけ、見事にふたのありかをボクに教えてくれま
した。娘に何かを教えてもらうのは初めてのことです。嬉しいやら、恥ずかしいやら、やら
れてしまいました・・・。
1月30日 涼子の口に口内炎ができていて、あまりごはんを食べません。好きなみか
んもしみるらしく食べません。故に口に入れているのはミルクばかりで、今夜当たりは、
以前のようにミルクで起こされてしまうかもしれません。まだまだ育児は大変です。
1月31日 今シーズンは早い時期から雪が降り積もり、冬がとても長く感じていました。
ずっと前から仕事を続けているようで、雪との格闘がまだ2ヶ月も続くのかと思うと、少々
うんざりするのですが、それでも2001年が始まり既にヒト月も経ったのです。月日の経
つのは本当に早いもので、ちょっと待ってくれよって感じになります。やはり涼子は日に
日に成長していますが、ボクは哀しいかな成長しているのはお腹と、小じわ位のもので、
このまま成長続けるとどうなるのかしらと不安になります。涼子に負けず、お腹と小じわ
以外を成長させます。はい。


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