親バカ父ちゃん子育て日記
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3月1日 相変わらず涼子はトイレでウンチができません。涼子のウンチという言葉を聞
くと、側にいる誰かがおむつに履き替えさせます。先日食事時にテーブルの縁に掴まり、
涼子はがんばり始めました。ごはんを食べながら、がんばっている涼子のお尻に目をや
ると、ウンチがもりもり出てきたようで、おむつが目に見えて膨れ上がったので、みんなで
それを見ながら苦笑していました。それが今日、ウンチが出てしばらく経ったとき、”みん
な見て。膨れたでしょ” って歩きにくそうにみんなのところへ歩いて報告に行くのです。
変なところで笑うこともできません・・・。
3月2日 もう除雪機で除雪することはないかも・・・、なんて思っていたのですが、非常に
甘い考えでした。今朝起きてみると、駐車場には30センチくらいの積雪があり、車を出す
のに除雪機を使うはめになりました。2階の窓から涼子に ”お父さん、がんばってぇ!”
と声をかけられると、がんばらずにはいられないのですが、長いです、今シーズンは・・・。
3月3日 雛祭りに母から雛ケーキを買ってもらった涼子は、先日の母の誕生日から一
転して、元気すぎるほどの一日でした。ケーキを前に雛祭りの歌を歌った後、どういうわ
けか、ハッピーバースデーを唄い、ケーキを食べてご機嫌でした。日中もゲレンデまで、
雪道を走って行き、母はついていけないほどだったと言ってました。今午後11時を少しま
わりましたが、パソコンの前に座っているボクの背中で、ひとりアスレチックのような事を
やっています。計り知れない元気さであります。
3月4日 涼子が寝ると言って、着ていたはんてんを脱いだ後、たたみました。ボクなど
は脱いだら脱ぎっぱなしなのですが、子供がきちっと片づけ始めました。やはりボクも涼
子を見習うべきなのでしょうか・・・。
3月5日 涼子に聞いてみました。”おうちの中で、誰が一番涼子に怒るかなぁ?” 少し
考えた後、”お父さん” と一言。”お父さんは涼子に、なんて言って怒ってるんだっけ?”
”ウンチをトイレでしなさいとか、ドアを閉めなさいって言うの” とさらり・・・。この冬、涼子
に一番接していたのは母だったので、母に何かと叱られていると思っていて、期待してい
た答えは ”おばあちゃん” だったのですが、やはり母がいくら叱ったところで、涼子にし
てみればあまり応えていなかったのかもしれません。ボク自身はそんなに叱っていないと
思っていたのですが・・・・・、う〜ん、やっぱりごちゃごちゃと、うるさく言ってるかもしれま
せん・・・。
3月6日 長野市の松代町というところへ行きました。木島平とは全く違った風景で、雪
は全くありません。ぽかぽか陽気です。松代温泉に入り、公園でおにぎりを食べました。
涼子は久しぶりの雪のない公園が嬉しかったらしく、履いていた雪道用の長靴をものと
もせずに、力いっぱい走りまわっていました。ブランコやすべり台も昨年秋以来だったの
で、それはそれは嬉しそうな顔で遊んでいました。雪もたまには楽しいものですが、毎日
だとつらいものです。涼子も雪のない公園で思いっきり遊びたかったのでしょう。もう後し
ばらくです。
3月7日 涼子はよく寝言を言います。多くは怒っていて、何かわけのわからないことを
口走っています。それが昨晩は歌を唄っていたのです。昨晩と言っても、明け方に近かっ
たと思うのですが、大きな声で ”まいごのまいごの子猫ちゃん〜・・・” とほとんど最後ま
で唄ってしまいました。もう起きたのかなぁ?と涼子の方を見てみると目をつぶったまま
唄っているのです。唄い終わると何事もなかったように、眠ってしまいました。幸せなやつ
です。
3月8日 とても寒い一日でした。さすがに涼子も外には一歩も出ず、家の中で大暴れで
した。新たな積雪もなく、お客さんも少ない今日は、母、女房、ボクと代わる代わる涼子の
お相手をさせていただいておりますが、疲れているのは大人ばかりで、涼子はどうして疲
れないのでしょうか・・・。
3月9日 母がいよかんを買ってくれました。涼子が ”これ何?” と聞くので、”いよか
ん” と答えると、”いよかんマダム?” と言うのです。有閑マダムという言葉をどこかで
耳にして、それを言っていたと思うのですが、そんなことをどこで聞いて、何故頭に入って
いたのでしょうか?わからないものです。
3月10日 お昼の食堂の営業が少し忙しく、普段なら午後2時頃には昼ご飯を食べるの
が、3時になっても段取りすらできませんでした。こんな時一番に迷惑を被るのが涼子で
あります。お腹がすいているにも関わらず、もうすぐ仕事が終わるからと、パンひとつもも
らえず、ミルクを飲んだだけでは眠ることもできなくなりました。ただただ親が仕事を終え
るのを待つしかないのです。オーダーが通って、母も含め大人3人が忙しくしているさなか
小さく泣きながら、”なんか食べた〜い” とやられると、本当につらいものであります。
3月11日 外から遊んで帰った涼子が、厨房で晩ご飯の仕込みをしているボクの前を
通った時、知らん顔をして行き過ぎました。”涼子、帰ってきたらなんて言うの?” と言い
ましたが、無視を続けたので、大きな声で再び、”帰ってきたら、なんてゆうんやっ!” と
怒鳴りました。”ただいまぁ” と力無くじゃまくさそうに言ったあと、ダーッと寝ころんだの
で、今度は涼子の側まで行き、両腕を掴んで立たせ、”帰ってきたら、なんてゆうんやっ
!” と再びすごみました。たちまち涼子は大粒の涙を流し、泣き始めました。その後ひと
しきり泣いて、眠ってしまいました。仕事を終え、遅くなった晩ご飯を食べ、涼子と風呂に
入り、パジャマを着せてもらった涼子がボクに言いました。”お父さん今日ごめんね” ”そ
うか、でもどうして父さんに怒られたんだっけ?” ”りょこたんね、ただいま言わなかった
の” と話しました。明日になったらどうかわかりませんが、とりあえず今日は叱られた理
由を覚えていたようです。
3月12日 昼の食事の予約などを頂戴し、早朝から一日仕事をしていた感じで、ばてば
てです。涼子は宿泊してくださっている大学生のお姉ちゃんや、食事に来られたチビちゃ
ん達とこれまた一日ハッスルしていた感じで、お疲れの様子です。雪解けが期待できる日
差しがあったかと思うと、雪がたくさん降って、春は本当にいつ来るのやら・・・。例年、冬
に入る前には、多くの天気予報が暖冬、暖冬と大合唱ですが、きっちり当たった例しがあ
りません。山の天気は都会とは全く違うようです。
3月13日 髪の毛が随分伸びてきました。右目が腫れてきました。散髪をしようと、女房
にはさみをもらい新聞紙を持って、洗面台の前で髪を切り始めました。いつもと違う光景
に涼子がじっとしているはずがありません。”りょこたんも髪の毛、切ってあげる” とか 
”りょこたんも散髪して” とかコチャコチャ言ってきます。いろいろお世話になったおかげ
で、また少し男前になりました・・・。
3月14日 涼子は随分歌を覚えました。長渕剛や稲垣潤一もなかなかうまいものです
が、やはり童謡も上手に唄えるようになりました。雛祭り、どんぐりころころ、チューリップ、
手のひらを太陽に、さっちゃん、赤い靴等々、歌の本を見ながら唄ったり、おもちゃのハ
ンディーカラオケを持って唄ったりします。メロディーも歌詞もそこそこ正確に唄えてはい
るのですが、歌詞の意味までは理解できていないようで、よいお天気の雪の道を大きな
声で、”う〜みは、ひろいな、おおきいな〜” なんて、元気に歩きながら唄います。これく
らいの歌詞の意味はわかっていいと思うのですが、さすが我が子であります。
3月15日 能登でうなぎ屋をやっている先輩に電話をしたのですが、あいにく入院中で
店は今月いっぱい休んでいるということでした。母がもうすぐ奈良に帰るので、この冬の
慰労会を兼ねて出掛けようと思ったのですが、残念でした。母の父、ボクのおじいちゃん
ですが、彼もうなぎがとても好きで、ボクが小学生の頃何度かうなぎ屋へ連れていったもら
いました。おじいちゃんをその先輩の店に連れていきたかったのですが、結局おじいちゃ
んが亡くなってしまい行けませんでした。チャンスのある時にやるべき事はやらないと後悔
するものです。今回ぜひとも涼子と一緒に、母に先輩のうなぎを食べてもらいたかったの
ですが、本当に残念でした。次の機会を待つことにしましょう。はよ、退院してや!みつや
さん!
3月16日 客室の窓の掃除をしたのですが、涼子が手伝ってくれました。もっとも邪魔を
してくれました、という方が正確かもしれません。雑巾を片手に、あちこちを拭きます。汚
れると水遊びもできるので、とてもハッスルしながら邪魔をして、いえいえ手伝ってくれまし
た。本当に窓拭きができるような年齢になると、掃除をしている親の事など見向きもしな
いんでしょうね・・・。
3月17日 昼寝の時間を過ぎているのに、涼子は近所の友達と家の中で大暴れです。
ボクも夕食の仕込みをする時間になり、友達はママと一緒に帰ることになったのですが、
涼子は自分も友達の家に遊びに行くと言って、いつものようにぐずりました。どうにかこう
にか友達は家に帰り、涼子はムリヤリ寝かされると5分と経たないうちに眠ってしまいまし
た。うらやましいヤツです。
3月18日 友達の家に行きたいと、涼子は朝からうるさく言ってました。3時頃になって
時間がとれたので、ボクは涼子を連れて50メートルほど離れた友達の家に行きました。
うるさく言っていたわりには、友達と仲良く遊べず、何かと衝突しているようです。それでも
とりあえず機嫌良く遊んでいました。夕食の準備の時間になったので、”涼子、帰るぞ!”
と言うと、”君は先に帰ってて” と一言。まだまだ遊び足りない涼子を預かってもらって、
ボクは家に帰りました。6時をまわったので、女房に迎えに行ってもらいました。力ずくで
連れて帰ろうとしたらしいのですが、見る見るうちに目に涙があふれ、大泣きを始めたら
しく、結局涼子が帰ってきたのは8時をまわっていました。なんと言うか、家に帰るのがイ
ヤになるくらいに遊びに夢中になれて、なんと幸せなヤツでしょう。悔しいなぁ!
3月19日 ”どうしてお仕事するの?” と涼子に聞かれる度に、”涼子はアイスクリーム
好きでしょ。涼子にアイスをいっぱい買うのに、いっぱいお仕事をするの” と答えていま
す。だっこや、おんぶなどとぐずりだしても、同じ事を言ってなんとか黙らせます。駐車場
の地面の雪が溶け、砂利が見えてきました。タイヤが滑って穴を掘ったようなところが部
分的にあり、でこぼこになっています。涼子はキティーちゃんのぬいぐるみを自分の側に
置き、スコップを持ってでこぼこを平らにしていました。”キティーちゃんにアイス買ってあ
げるから、ちょっと待っててね” なんて言ってるのです。これでも仕事を手伝ってるつもり
なんです。
3月20日 外を走り回っていた涼子が転んで、手の指を小さく擦りむきました。薬をつけ
るとすぐに治ると思っていたらしい涼子は、痛いよ、治らないよと、ぐずぐず言ってました。
風呂に入ると、忘れていた傷の痛みが戻ってきたらしく、再び泣き始めました。傷口を見
てみると、爪楊枝を3本ほど束にしたようなか細い左手人差し指と、中指にこれまた鼻くそ
ほどの傷がありました。こんなのが痛いんですよね。がんばれ、がんばれ!
3月21日 3ヶ月もの間、我々の手伝いをしてくれていた母が奈良に帰りました。多くが
涼子の子守や、皿洗い、残飯処理などで、つまらない仕事を愚痴ひとつ言わず、こなし続
けてくれました。ボクは高校を卒業する頃から、わがままが吹き出し始め、母には特に迷
惑をかけ続けていました。多くの人たちは中学・高校生の頃に不良を演じ、社会に出ると
まじめに過ごす事がほとんどだと思いますが、ボクは全くの逆で、中高生の頃は勉強もク
ラブ活動もそこそこにこなす、普通の男の子でありました。大学に入った頃には性格が変
わってしまったと言うか荒れ始め、20代は ”ごろつき” と呼ばれるのに、ふさわしいよう
な生き方をしていました。いかに生きるかが自分の中では、とても大きなテーマだったので
すが、結果として、単なるわがままやりたい放題の、遅れてやって来た不良、もしくはごろ
つきでありました。独立を考え始めた頃から母の心労はより大きくなった事だと思います。
夜遅くにチラシをまきに出掛けたり、屋台で天ぷら屋をしていたときなどは、仕込みを手
伝ってもらったり、特に堅い堅いカボチャを母に切ってもらっていたのは今でもよく覚えて
います。何かとボクのわがままの裏では母が支えてくれていました。何をやってもうまくい
くことはありませんでしたが、いつも母は惜しむことなく手を貸してくれました。37歳となっ
た現在も何かと迷惑をかけ通しで、やはり母には頭が上がりません。母を涼子とふたり
で、駅に見送りに行きました。涼子は母が奈良に帰るのが嫌なようで、母の服の袖を掴ん
だまま離しません。キオスクでポッキーを買ってもらい、涼子を母からムリヤリ離しました。
涼子はついていくと言って大泣きを始めました。まだまだ雪の残る駅のホームに、電車を
待つ人は多くはありません。むき出しの線路を挟んで、駐車場の方から母のいるホーム
に涼子を抱きかかえながら手を振りました。涼子は静かな駅に向かって ”ばっちゃ〜ん”
と泣き叫びます。何度も何度もホームにいる人に恥ずかしくなるくらいに、泣き叫びます。
あまりに恥ずかしくなってきたので、涼子に ”このお菓子な〜に?” と注意をそらせよう
と聞いてみたら、”ばっちゃ〜ん、このお菓子な〜に?” とこれまた泣き叫び、より恥ずか
しくなってしまいました。電車が入り、母は帰っていきました。車に乗り、買ってもらったポッ
キーを食べ始めると、涼子は泣きやみました。素直に感情を表現できる涼子を羨ましく思
いました。ボクの分まで泣いてくれたのでしょうか。冬の厳しい季節に長くいてもらって感謝
しています。暖かくなれば、遊びだけに来て下さい。いつもありがとう。
3月22日 ボクも女房も仕事を始めると、涼子は誰にも構ってもらえなくなりました。昨日
までなら ”ばっちゃんとこ、行って来る” と母のいる場所へ遊びに行っていたのですが、
今日からはいつものメンバーに戻ってしまいました。食堂の窓から山に向かって、”ばっ
ちゃ〜ん、どうして奈良に帰ったの〜” と何度も叫ぶ涼子は本当に淋しがっているようで
した。無理もありません。この3ヶ月間というものずっと一緒にいて、涼子のわがままを聞
いてくれていたのですから淋しくなるのも当然です。この冬のことを涼子はいつまで覚えて
いるのでしょうか・・・。
3月23日 久しぶりに涼子とふたりで、上越に仕入れに出掛けました。相変わらず車に
乗ると、お菓子、ジュース、眠たくなってきたなど、うるさく言います。ウンチというのもあり
ました。買い物に行くと、車に乗せたり下ろしたり、仕入先のカートに乗せたり下ろしたり、
何かと大変です。帰りの道すがら、早く家に帰りたいと泣き出す始末。飯山まで帰ってき
て最後の仕入れ先で、アイスクリームを買ってご機嫌とりをします。アイスをほおばる、助
手席の涼子に、”買い物疲れちゃったね” と言うと、”なんで?” だって!怒るで〜!
3月24日 涼子の近所の友達が春休みになり、朝から涼子は一日ハッスルしていまし
た。母が奈良に帰り、遊び相手に困るなぁと思っていましたが、ちょうどよかったです。道
路の雪も解け始め、走り回れる季節がやって来ました。ボクの雪との闘いもそろそろ終
わりそうです。
3月25日 がんばって涼子にウンチをさせようとトイレに行きましたが、オシッコとおなら
は出ますが、いっこうにウンチは出てきません。おむつをはかせて立ったままウンチをす
るスタイルは赤ん坊の頃から変わりなく、どうしたものでしょうか。手先のことなどわりと器
用に何でもこなすくせに、ウンチがどうもトイレでできません。う〜ん・・・・・。
3月26日 テレビコマーシャルを見ていた涼子が言いました。”どうしてチンしないんだろ
う?” 画面を見てみると、食パンの宣伝でお姉ちゃんが見るからに柔らかそうな食パン
をかじっていました。それはやはり焼いていない、真っ白なままの食パンでありました。家
の中では必ず食パンは焼いて食べるので、それが不思議だったのでしょう。いろんなとこ
ろをよく見ています。
3月27日 夕べお風呂に入っていたときに、ボクが湯船に浸かるとお湯がバスタブから
あふれ出てしまいました。それを見た涼子はすかさず、”お湯がもったいないでしょ。お父
さんがいつももったいないって言ってるでしょ!” とやられてしまいました。涼子は現在
3歳ですが、今からあれやこれやと言われてしまうと、この先まじめな優等生のようなお父
さんに育てられてしまいそうです。思いやられます。
3月28日 昨日から女房の両親が来てくれています。涼子は特におじいちゃんが大好き
なようです。そんなおじいちゃんにも涼子は注意したと言うのです。昼ご飯にスパゲティー
を作りました。ボクと女房は仕事だったので、おじいちゃん、おばあちゃんと涼子の3人が
先に食べることになりました。スパゲティーを前にして、しばらく時間が経ったのでしょう
か。涼子が ”お父さんがせっかく作ってくれたんだから、冷めないウチに食べないと・・”
と説教を始めたらしいのです。3歳のくせに、大人なんだか子供なんだかわからない口を
利くと、涼子の大好きなおじいちゃんもたじたじでありました。
3月29日 今朝6時頃、隣で寝ていた涼子が寝ぼけた声で言いました。”おじいちゃん
は?” ”上で寝てるよ” と答えると、”あ〜よかった” と言ってまた眠りました。よほどお
じいちゃんの事が好きなようです。先日も涼子とふたりで布団に入り、話していたのは、
涼子が ”今日はなんの夢を見ようかなぁ?” と言うので、”お父さんはボインのお姉ちゃ
んの夢を見ようっと” と言うと、”りょこたんはボインのぼよよ〜んとなったおじいちゃんの
夢を見ようっと” と言ってました。なんか変な気に入りようです。
3月30日 明日おじいちゃんとおばあちゃんが奈良に帰ります。涼子はまた大泣きをす
るのでしょう。ボクや女房は涼子に簡単に怒りますが、おじいちゃん、おばあちゃんは全く
怒りません。涼子のわがままを何でも聞いてくれます。涼子にとっては神様、マリア様の
ようなものなのかもしれません。おじいちゃん、おばあちゃんが帰ってしまうと、仕事で忙し
くなった時、遊んでくれる人がいなくなります。ボクや女房に叱られると、慰めてくれる人が
いなくなってしまいます。涼子はそんなことがすぐにわかってしまうのでしょう。かわいそう
ですが、仕方ありません。帰るときに、泣いて怒るんじゃなくって、ちゃんとありがとうって
言うんだぞ!
3月31日 おじいちゃんとおばあちゃんは奈良に帰りませんでした。おじいちゃんは以前
から首が痛いらしく、寝ているときにも何度も首の痛さに目覚めるようなのです。昨日信州
山田温泉の大湯にみんなで行ったのですが、そこのすこぶる熱いお湯が首によかったよ
うで、12時過ぎに寝た後、4時にトイレには行ったものの痛みはなく、それからまた眠れた
ので、今日、もう一度山田温泉に行きたいということで、奈良には帰らなかったのです。そ
うなると一番喜んでいるのは、涼子であります。今日は土曜日で、涼子に会いに来てくださ
る食事のお客さんや、近所の友達などがたくさんいて、涼子にとってはまさに、この世の春
といったところです。一日ハッスルした後、早い時間に眠ってしまいました。ボクはと言えば
少し風邪をこじらしたようで、ゾクゾクする背中と、がんがん重く痛い頭を抱えて、一日料理
をしていました。緊張感がなくなり、今ドーッと疲れがあふれ出てきたようです。


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