親バカ父ちゃん子育て日記
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4月1日 風邪をひくときというのはこんなもので、朝目覚めても重い頭はそのままで、熱
がありました。案の定、雑誌の取材などと普段にはない仕事をこなすと、劇的な別れにな
るはずだったおじいちゃん達が難なく車で行ってしまい、涼子の泣き方がいつもと違うの
に気づきました。熱を計ってやると、38度を超える高熱で涼子はぐったりし始めました。
薬を飲ませ氷枕を敷いてやったりしたものの時既に遅しという感じで、何度か目を大きく
見開き、痙攣の一歩手前になることすらありました。我々親はおどおどするばかりで、真っ
赤な顔で訴えるように泣く涼子に、ただただ手を握って ”がんばれ!” と言ってやるしか
方はありませんでした。女房と夜の営業をやめようかと話し合いましたが、とりあえず開け
ようと女房に店の電気を入れてまわってもらいました。こういうことを記すと叱られてしまい
ますが、やはり案の定、多くのお客さんに来てもらい、力無く泣いている涼子に ”がんば
れ!” とだけ声をかけ、フラフラの頭でオーダーをこなし始めました。その間、涼子のお
決まりの ”ミルク” と ”おしっこ” のオーダーが入ったのは言うまでもありません。電話
が鳴らなかったことくらいが、せめてもの我々夫婦に対する神様の手助けだったように思
います。明日は涼子共々熱が下がっていることを祈って、寝ることにします。
4月2日 まだ3歳と数ヶ月にしかならない涼子が2回目の入院をしました。涼子の泣く声
に目覚めたのですが、涼子の頭はとても熱く、病院に連れていくことにしました。肺炎の一
歩手前という先生のお話で、飲み薬と座薬をもらって帰りました。飲み薬を飲ませ様子を
見ましたが、良くなる兆しはなく、昼の営業を終えて、座薬を入れました。これで熱は下が
るだろうと思っていたのですが、熱い頭はそのままで、眠りたいのに、あまりの高熱のため
に眠れない涼子が声にならない声で、小さく怒ってみたり、目を大きく見開きあらぬ方向を
見ていたりと、良くなるどころか悪くなる一方でした。夜の営業を終え、9時過ぎに雑炊を
作ったのを、涼子は少しですが食べました。2度目の座薬を入れました。眠りたいのに眠
れない涼子を抱きかかえたり、布団に寝かせたりの連続で、10時半頃からどうにか眠り
始めたのですが、11時を過ぎた辺りから、突然起き出し、いつもはあんなにハキハキと
話す涼子とは思えないほどの、単語になっていない言葉を発し、表情が今まで見たことも
ない ”うつろ” というのを通り越して、目が回っているような感じになりました。ボクの問
いかけにも全く応じなくなり、病院へ連れて行くことにしました。病院ですぐに体温を計る
と39度7分まで上がりました。当直の先生の診断で、即入院ということになり、女房と手分
けして段取りを済ませ、涼子の付き添いは女房に頼んで、先ほどボクは家に戻ってきまし
た。涼子の顔を見ていると、何度も涙が出てきそうになりましたが、辛抱強く病気と闘って
いる涼子に顔向けができないと、ただただ唇をかみしめるだけでした。なんとも親とは無力
なものです。がんばれって言うしか、父さんにはできないよ・・
4月3日 こういうときはどこまで行っても、父とは役に立たないものです。今夜も女房に
涼子を任せ、病院から戻ってきました。朝10時頃に病院に行き、女房と交代をしました。
涼子の熱は相変わらず高熱で、39度前後を行ったり来たりしていました。2時間程度眠
りましたが、昼食は牛乳を5cc程飲んだだけで、後は泣きながらかすれた声で、”おうち
帰りたい” とか ”これやだよっ!” と、骨折でもしたように包帯でぐるぐる巻きにされた
小さな左手首からのびる、点滴のチューブを引きちぎろうとしたりで、ぐずぐずの連続でし
た。夕方女房が戻ってきて、とりあえず涼子にしてもふたりがいると落ち着いているように
見えました。夜8時頃には少し気分が良くなったのか、ベッドにひとりで座って ”これりょこ
たんのおうち?” とか ”お菓子食べたい” と話をするようになったので、幾分ホッとしま
した。それでも8時半には38度3分の熱があり、病院を10時に出るときには頭がまだま
だ熱かったので、これから先が心配です。夜の付き添いをボクも名乗りを上げましたが、
どうしても女房じゃないとダメなときが涼子にはあります。ボクじゃないとダメなときは・・・、
あまりありませんが、夜中に目を覚ました時などは父は母にはかなわないのです。ボクは
家に戻って、水泳のイアン・ソープや、マリナーズ、イチロー選手の事などテレビを見て一
瞬でも涼子の病気の事は忘れてしまっていますが、涼子は寝ても覚めても点滴の管がぶ
ら下がっている現実があり、ひとときでも早くあの場所から連れ出してやりたいです。
4月4日 夜9時前に体温を計ってやると、36度5分まで下がっていました。食堂の営業
は臨時休業とし、今朝も10時に昨晩から看病をしている女房と交代をして、ボクが涼子
の付き添いをしました。37度代まで下がったということで、昨日や一昨日のように熱が睡
眠の邪魔をするような事はなく、お昼頃から涼子は3時間以上をずっと眠り続けました。
思い返すと、昨年の夏からお客さんは多くはありませんが、ずーっと続いていました。11
月からは3食付きで忙しい日が休みなく続き、冬のシーズンに入りました。その間、自分た
ち家族3人は、鼻を垂らすことはあっても、横になるほどの病気には誰もかかりませんでし
た。それがここにきて、ボクと涼子がやられてしまいました。みんな疲れていたのかもしれ
ません。女房が風邪をひいてしまう前に、休養をとるべきかもしれません。少し元気が出て
きた涼子は、あれやこれやと、うるさく言うようになってきました。病院を出る前、眠る涼子
の頭に手をやると、まだ幾分熱かったのが気になりますが、明日は病院から出られるで
しょうか・・・。
4月5日 不安は的中しました。今朝病院に行ってみると、ぐったりとした表情の涼子が
女房に抱きかかえられていました。今日一日を通じて39度前後の熱が続いていました。
お医者さんは入院した日より、血液中の菌がなくなっているので、後は熱が下がるのを待
つだけだとおっしゃいましたが、その熱が全く下がりません。どうしたものでしょう。何という
か、変なことばかりを考えてしまいます。このまま熱が続くと本当に死んでしまうのではない
かとか、体の一部がおかしくなるのではないかとか、先生や看護婦さんの相当な処置の事
も忘れて、いらぬ心配をしてしまいます。気に入らないことも出てきます。涼子以外にふた
りの小学生との相部屋なのですが、この方達が一日中大きな音でテレビをつけていて、涼
子の睡眠を邪魔します。血液検査のための注射などでも、涼子は唇をかみしめながら、
目に涙をためるだけで、我慢しているにも関わらず、この小学生は病院中に聞こえるよう
な大声でわめきまくり、看護婦さんを ”くそばば” 呼ばわりしておきながら、親は叱ること
もしない。ボクは何度このバカタレ親子に向かって、わめいてやろうかと思ったことでしょう
か。ボクがわめくと声も通るし、大阪弁だし、やくざ言葉だし、黙らせるにはわけないことな
のですが、大人げないなと、ただひたすら涼子に謝っていました。今夜も涼子と女房は病
院にいます。ボクはシャワーをしてすっきりしていますが、涼子はもう何日も風呂に入って
いません。気持ち悪いやろなぁ、かわいそうやなぁ、誰か助けたってんかぁ・・・。
4月6日 今日も涼子の調子はあまりよくありません。毎日涼子は ”おうち帰りたい” を
繰り返しますが、熱が下がらずどうしようもありません。持って出掛けた小さなぬいぐるみ
に、涼子はかすれた声で話しかけます。”熱が下がらないから、おうち帰れないの” 本人
も何度同じことを聞かされたでしょう。明日は宿泊の予約があります。涼子が退院してくれ
ないことには、父さんも結構ピンチであります。
4月7日 女房がお医者さんに頼んで退院できました。涼子の ”上気道炎” と診断され
た、高熱が続いた病気は未だ完治していませんが、体温が落ち着いてきたので、退院す
ることができました。本当に一時はどうなるかと思いました。テレビの見過ぎかもしれませ
んが、点滴の時にも消毒薬を混入したとかなんとか、医療ミスに関して少なからぬ情報が
頭の中に渦巻いていて、もしも、もしもなんていらぬ心配をしました。退院したにも関わら
ず、まだまだ気分がすぐれないらしく、今日は一日機嫌が悪かった感じですが、とりあえ
ずみなさんのおかげで、退院できました。多くの方から励ましのメールや電話を頂戴しまし
て、感謝しています。涼子はみんなに心配してもらって幸せなヤツです。ありがとうござい
ました。
4月8日 女房もボクも何をやる気も起こらず、だらだらと過ごしてしまいました。なんとい
うか、やっと正月がきたような感じでしょうか。う〜ん、別にめでたいわけでもなく、ちょっと
した仕事をやり終えた充実感というのもありません。ただただ疲れてしまいました。仕事疲
れと気疲れと育児疲れってとこでしょうか。しばらく静かに過ごしていたいです。
4月9日 この冬は大量の雪だったので、雪解けが進みいろんな部分が見えてくると、雪
によって壊された箇所があちこち出てきます。よいお天気だったので、気になっていたとこ
ろを、涼子とふたりでやすみやすみ手直ししていきました。涼子は一見元気に見えるので
すが、まだ本来の調子ではなさそうに見えます。こんなによいお天気の日は、ダーッと走
り回るのですが、おとなしくボクの周りをうろついていました。ゆっくり養生しましょう。
4月10日 上越まで仕入れに出掛けました。涼子は久しぶりの買い物で、嬉しそうにして
いるのですが、どうもあまり元気がないように見えます。我々夫婦も相変わらずなんだか
気だるいままで、仕事だけこなして帰ってきました。普段なら温泉とドライブインとって感じ
になるのですが、涼子にも元気がないし、ボクも遊ぶ気力もなく、本調子にはまだしばらく
時間がかかりそうです。
4月11日 病院へ検査に女房と涼子は出掛けました。採血をしてもらうのですが、なんと
経験不足の看護婦さんなのか、注射針を腕に刺した後、ぐりぐり針を回して血管を探すこ
と、3回あったというのです。当然痛いから涼子は泣きます。結局違う看護婦さんを呼ん
で、事なきを得たらしいのですが、怖いですねぇ。診察の結果は、不足していた白血球の
数は正常に戻りました。ただ咳の量がすごいので、そのための薬をもらって帰ってきまし
た。とりあえずよくなったようです。一昨年の夏にも涼子は ”ヘルパンギーナ” だとかの
病気にかかり、入院しました。あの時は夏休みの真っ最中で、客室は満室が続き、その
上食事の予約なども重なり、それはそれはマイってしまいました。その時に比べると、今
回は仕事も休める期間だったので、ある意味では涼子はとても親孝行だったのかもしれ
ません。殺風景だった雪解けの庭に、涼子と一緒にパンジーを植えました。ゆっくり元気
をだして、またボチボチ遊びに行くぞっ!
4月12日 自民党の総裁選が始まりました。この一年森さんが総理大臣でしたが、何か
と気の毒になるくらい批判をされる人でした。こんな人なら、いてもいなくてもどっちでもい
いなぁ、とボクもよく思いました。いてもいなくても庶民の暮らしは続いていきます。次の総
裁はおそらく橋本さんだろうということですが、ボクはあまり好きな政治家ではありません。
よく相手をバカにしたような表情を見せます。今日も橋本さんが、ニュースステーションで、
久米さんを相手にバカにしたような強い口調で、”よく聞いてくださいよ” と言ってました
が、久米さんのように人の話をよく聞き取れる能力のある人が、橋本さんの言うことがよ
くわからないわけですから、ボクのような一般庶民が橋本さんの話を正確に聞き取れるは
ずがありません。橋本さんは外国人相手だと、気持ち悪いくらいに笑顔を見せます。その
笑顔は、ボクが欧米人を日本の中小企業の社長や部長に何度か会わせたことがあった
のですが、普段小難しい表情をしていて、ボクに笑顔など見せたこともないようなおっちゃ
ん連中が、外国人を連れて引き合わせた途端に、慣れない笑顔を満面に見せたのとよく
似ているのです。人の外面だけで判断するのとよく似ています。自民党の誰が総理大臣
になっても、ボク達の暮らしは変わりありませんが、少なくとも一般庶民にわかる話をして
くれる人をとりあえずは望みます。
4月13日 冬タイヤから夏タイヤに履き替えました。飯山市の図書館に行きました。涼子
が暴れ出すかなと思っていたのですが、案外静かに女房に絵本を読んでもらっていまし
た。涼子が見つけてきた本は相も変わらず、鬼の出てくる本で、怖い怖いと言いながら、こ
んな類の本ばかりが大好きです。ボクはと言えば、外国の風景写真の本を探していたの
ですが、気になるような風景はあまりありませんでした。いつかどこかのカレンダーで見た
ノルウェーの風景を探しているのですが、どうも見つかりません。いつか必ず探し出して、
出掛けてやろうと思っています。
4月14日 テレビで洋画を見ていました。涼子は爆発したり、格闘したりするのが大好き
です。テロリスト集団の中に美人のお姉さんがいました。涼子は ”りょこたんね、あのお
姉ちゃんみたいになりたい” と言うのです。”あのお姉ちゃんはワルモンだよ” と言うと、
”悪いのがいいんだもん” と言います。困ったものです。早急に育て方を変えねばなりま
せん。
4月15日 涼子がかくれんぼデビューを飾りました。日曜日で近所の友達やお姉ちゃん
はみんな家にいます。お父さん達も、雪解けした汚れた庭をきれいにするのに、外にいま
す。子供達の賑やかな声がかくれんぼの遊びに変わりました。”も〜ぅ、いいか〜い” を
繰り返し叫んでいるのはなんと涼子の声でした。ボクは日曜日なのに誰もお客さんの来な
い家の中で、料理の本をめくりながら子供達の声を聞いていました。”もう、いいかい” が
何度聞こえたのでしょうか。それきり声が聞こえなくなりました。涼子もだんだん成長して
いくなぁ、なんて考えていたのですが、外で子供達の遊びを見ていた女房に思いもよらぬ
ことを聞かされました。1から10まで数えた後、”もういいかい” を繰り返した涼子に、涼
子の一番近くにいた、お向かいのお父さんが、”涼子は数まで数えられるようになったの
かぁ、えらいなぁ!” と声をかけると、”そんなことはどうでもいいから、次はどうするんだ
ようっ!” って怒鳴ったと言うのです。さすが我が娘、ルールもわからずに参加していた
のです。怒鳴られたお向かいのお父さんもたじたじであったようです。しかし言葉使いが
ボクに似て、汚いのをなんとかしないといけません。
4月16日 相変わらず涼子はウンチをトイレでできません。ウンチと言うととりあえずは
トイレに連れていくのですが、トイレでは全く出ず、トイレから出た後、おむつに履き替えて
立った姿勢でウンチをします。今日も数分の間、がんばらせましたがダメです。目に涙を
ためてがんばっていましたが、どこに力が入っているのか、ウンチは出てきません。おむ
つに履き替えるとすぐに出るのは、涼子もボクもよくわかっているのですが、ボクはトイレ
で拷問のようにがんばらせました。15分位がんばらせたでしょうか。結局ウンチは出ず、
晩ご飯となり、食事の後アッという間に涼子は眠ってしまいました。ウンチは腹に残したま
ま、お風呂にも入らず眠ってしまいました。かわいそうですが、どうしようもありません・・・。
4月17日 結婚して以来、ボクは女房にご飯の支度をしてもらったことがありません。遊
びに行く日など、たまに弁当は作ってくれます。今日は火曜日で店は定休日です。朝から
ボクは涼子と、昨日買ってきた芝を庭にはり、女房は久しぶりに弁当を作ってくれました。
芝をはり終え、貴重な女房特製弁当を携え、直江津の海に魚釣りに出掛けました。魚釣
りをするのは、小学生の時以来です。山に行くには雪が多すぎるし、川の釣りはお金がか
かるので、海で魚釣りをしようということになりました。直江津の釣り道具屋さんに行き、
初心者でも使える釣り竿を教えてもらおうと思ったのですが、入ったお店にはいわゆる店
番の愛想のない女性しかいなくて、とりあえず、その女性の勧める竿と、餌を買って堤防
に着きました。よいお天気で気持ちのいい風が吹いていて、涼子もとても気持ちよさそう
にしていました。特製弁当を広げ、ビールといきたいところだったのですが、あさってに健
康診断があるので、ちょっと我慢して、お茶を飲みながら、25年ぶりくらいの魚釣りを始
めました。堤防には10人はいたでしょうか。釣り人はあまり釣れていないような感じで、
竿を握っていましたが、海からの風がみんなとても心地よさそうでした。涼子もお腹が大
きくなると、釣り竿を貸せだの、お散歩をしようだのと久しぶりに元気な顔を見せてくれま
した。3時間半くらいがんばって、カレイとアジとタコとを3匹ずつ持って帰るつもりだった
のですが、結局何にも釣れず、引き上げることにしました。帰り道、ふと見つけた小さな
公園で、暗くなるまで涼子を遊ばせました。木島平の馬曲温泉に入って帰ってきました。
休みの日は本当にアッという間に終わってしまいます。
4月18日 1時間くらいねばって、涼子はトイレでウンチをやり遂げました。泣いたり、オ
シッコを便器の外に出したりと、ドラマの続いた感動のウンチアワーでありました。明日か
らもできるといいのですが・・・。退院してから涼子は、お風呂で頭にお湯をかけると、やた
らくすぐったがります。あぐらをかいたボクの膝の上に涼子を仰向けに寝かせ、左手で頭
を支えて、右手で洗面器から、あるいはシャワーを使って、お湯をかけます。その時、涼子
はゲラゲラ笑い始めます。目を閉じたまま首をすくめて、ゲラゲラ口を開けないように笑う
のですが、その顔が今自民党総裁選に出ている、亀井静香氏にそっくりなのだからイヤに
なってきます。もうちょっとかわいらしければいいのですが、亀井さんではねぇ・・・。
4月19日 なんと2日連続で涼子はウンチをトイレで済ませました。過去に何度かトイレ
で済ませたことはあったのですが、2日と続いたことがありませんでした。それが今日は、
夜の食堂の営業時間中、ボクも女房も忙しく動いているその時に、悲愴な顔をして厨房に
現れた涼子は ”ウンチ” と一言。あ〜やられたか、と思いましたが、女房にすぐにトイレ
に連れていってもらった後、3分とかかっていないのではないでしょうか。ウンチが出たと、
ニコニコ顔でパンツもはかずに、9人前のコース料理に奮闘していたボクに報告に来てく
れました。よかったよかった。でも明日はどうなるのでしょうか・・・・・。
4月20日 昨日は半袖で過ごしていて、明日は直江津へ先日のリベンジに行こう!なん
て張り切っていたのですが、今日はとても寒くて魚釣りどころではありませんでした。うっと
うしい天気で、風も冷たかったのですが、こんな日でも食事に来て下さるお客さんがありま
した。涼子はお客さんのチビちゃんとハッスルしていました。ハッスルしすぎて、今日はウ
ンチが出なかったようです。
4月21日 ”ウンチねた” ばかりで申し訳ないのですが、昨日ウンチをしなかった涼子
なのですが、昼間に近所の友達と遊んでいるときに、”あ〜、うんちぃ” と悲惨な声を上
げたので、ボクはすぐに涼子を抱え、家の中に連れて入りました。女房に涼子を渡して、
ボクは再び外へ出ました。間に合ってよかった、と思っていたのですが、全く間に合って
いなかったようで、外の片づけをして家にはいると、”ウンチ、もれてた” と女房から一言
告げられてしまいました・・・。は〜ぁ・・・。毎年冬のシーズンが終わると、ご近所3軒で慰
労会をするのですが、今年は涼子の入院などもあり、ようやく今日宴会ができました。自
分たちの食堂は使わずに、初めてみんなそろっての外食となりました。厳しい冬のシー
ズンを乗り越え、家族だけでなくご近所との協力なしでは我々の生活は成り立ちません。
みんなが笑顔で食事をできたのが、何よりも嬉しくもあり、励みにもなりました。
4月22日 スキー場のゴミ拾いがありました。涼子を初めて連れていきました。子供達も
たくさん参加していたので、涼子は楽しそうに、何かお祭りにでも参加しているかのように
道路を上へ上へと登っていきました。もちろんゴミを拾って歩くことはできませんでしたが、
次回は仕事も少しはこなせそうです。
4月23日 最近涼子は朝早く起きます。じっとしていられない涼子は女房をムリヤリ起こ
します。今朝も早起きした二人は、桜が満開の村内の公園に遊びに行ったようです。ボク
は相変わらず遅めに起きだし、フニャフニャしていました。帰ってきた涼子に尋ねました。
”涼子のお名前は?” ”た・か・み・よ・う・こ” ”りょ、でしょ?” ”ろ?” ”りょ!” ”ぎょ”
春です・・・・・。
4月25日 不覚にも記憶がないのです。昨日埼玉県の川口市に住まいするお客さんの
ところへ、家族でお邪魔しました。夕方4時前からビールに焼酎と飲み始めたのですが、
夜10時45分の時計の針は覚えているのです。しかし、その後の記憶が全くありません。
11時には帰るつもりでいたのに、眠ってしまったようで、なんにも覚えていないのです。涼
子がウンチをしたとか、女房がボクに帰るのか、泊まらせてもらうのか何回聞いても、きっ
ちり答えないとか、ボクがトイレのドアを開けたままウンチをしていて、”ウンチが出ない、
りょこたんみたい!” などと言っていたとか、あれもこれもと女房や、お客さんからいろい
ろ言われたのですが、本当になんにも記憶がないのです。こんなことは初めてです。焼酎
も何十杯飲んだかわからないくらい飲んでいたらしいのですが、そんなこともわからない
のです。家でお客さんと飲むことは多々あるのですが、記憶がなくなるなんてことは一度も
なかったのです。疲れてたのでしょうか?女房と涼子に服を脱がせてもらって、寝たらしい
のですが、早くも娘に世話になってしまったようです。何よりお客さんのご家族に迷惑をか
けてしまいました。すみませんでした。堪忍してください。ということで、以後気をつけます。
4月26日 小泉さんが総理大臣になり、おもしろい顔ぶれで組閣もされました。国民との
距離は縮まったかもしれないが、かなりギャンブル性の強い内閣ですねと、ニュースの筑
紫さんが言ってましたが、賛成です。大学教授の竹中さんが、どこまで官僚をやっつけら
れるかという点と、今後の国会での野党とのバトルが楽しみです。今日は暖かい日で、去
年の秋に、シャラの木に産み付けられていたカマキリの卵から、小さなカマキリが数匹こ
の世にデビューしていました。あまり虫が好きではない涼子も手に乗せて遊んでいました。
涼子が成人する頃にはどんな暮らしをしているのでしょうか。政治家や公務員などを当て
にして、ボク達の暮らしが良くなるわけでもありません。自分自身がどうするかに全てはか
かっているのです。
4月27日 涼子は赤ん坊の頃と変わらず、ボクや女房に対して ”だっこ” や ”おん
ぶ” を未だによく言います。涼子の体が大きくなってきているので、女房にだっこされた
涼子は少し不自然に見えてきました。昼寝の後にぐずり始めた涼子を、ボクがだっこして
いました。涼子は眠り足りないのか、自分の体から頭の部分を、ボクの腹から胸の当たり
にフィットさせて眠ろうとするのですが、やはり涼子の体が大きくなっているようで、涼子の
頭とボクの顔があたってしまい、寝心地がとても悪そうで、さらにぐずり始めます。ボクの
お腹も大きくなってはいますが、涼子の成長には幾分遅れをとっていて、涼子をだっこした
まま眠らせるには限界が近づいてきたようです。
4月28日 涼子の近所の友達が遊びに来ていました。食事のお客さんがお見えになり、
涼子と友達が今まで通り、奥の部屋で遊んでいれば問題はなかったのですが、お客さん
が来たのが珍しかったのか、嬉しかったのか、友達の方が食堂へはしゃいで出ていきま
した。女房が涼子と友達に ”お客さんが来たから、食堂へ行ったらダメよ” と注意しま
した。涼子はいつものことなので、女房の言うことをすぐに聞き分けましたが、友達の方
はなかなか話を聞かずに、何度でもウロウロ食堂の方へ出ていきました。ボクも何度か
優しく注意をしましたが、言うことをまるで聞かなかったので、怖い顔を作って、幾分大き
いめの声で、怒鳴りました。彼女は苦虫をかみつぶしたような顔を一瞬こちらに向けると、
すぐさま女房に、”おうち帰りたい” を連呼しました。彼女はもうこの家には遊びに来ない
かもしれません。少なくともボクのことを避けるようになるかもしれません。他人の子供を
叱るのはなかなか難しいものです。
4月29日 女房が横になってうたた寝をしていました。同じ部屋で涼子は遊んでいまし
た。ふと浅い眠りから目覚めた女房が自分の横を見ると、ぬいぐるみが女房の方を向い
て三つ並んでいて、体の上にはボクの枕のカバーにしているタオルが、まっすぐ掛けられ
ていたと言うのです。涼子自身が赤ん坊の頃にされていたような事を、涼子本人が寝て
いる女房に同じようにやっていたわけですが、なかなか優しいところもあるものです。ボ
クに似て・・・?
4月30日 嫌な月でした。3月の後半から営業成績もよくなく、落ち着かない日が続いた
のですが、4月に入った途端に涼子が入院するなど、ボクも女房も体力、気力それに経済
力とも全てが落ち込んだ月でありました。生きている間にはいろんな事が起こります。特に
前向きに、積極的に、行動的に生きていこうとすると、くぐらなければならない関所の数は
多くなってきます。今までにも幾度となくどん底にたたき落とされ、苦汁をなめてきたので
す。はい上がってくる気概は身につけてきたはずです。どうって事はないのですが、やはり
木島平に来てからの最悪の月になりました。夜の営業を終えてから、みんなでちょこっと
お清めの塩をまきました。つまらないことは今日でおしまいにして、明日から気持ちを切り
替えて、日々精進します。


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