親バカ父ちゃん子育て日記
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5月1日 上越へ仕入れに出掛けました。ダーッと仕事を済ませて、柿崎というところの
海水浴場へ行きました。もちろん泳ぐわけではありません。魚釣りです。まずは弁当を広
げ、ビールで乾杯。昨日までの悲惨な1ヶ月とはさっさとおさらばして、がんばってやりま
しょうって・・・。天気は良かったのですが、少し風の強い日でした。涼子はご機嫌に弁当を
食べると、砂遊びに一生懸命になりました。女房は酒さえあれば、これまたご機嫌で、何
度も餌がはずれたと、魚釣りにならないボクを肴に大笑いをしています。100メートル程
離れた場所で、二人の釣り人がいました。その一人は遠くから見ていてもかなりの大きさ
の魚を釣り上げていました。おじさんのところへ見に行くと、イナダという魚を数匹釣って
いました。涼子には ”お父さん、がんばってぇ! タコ釣ってぇ!” と何度も励ましの声
を頂戴するのですが、結局今回もなんにも釣れずに引き上げてきました。ボクはこれでい
いのです。当然釣れた方がおもしろいのに決まっています。それでも釣り糸を海に投げ入
れて遊んでいられるのでいいのです。
5月2日 最近涼子はのどが渇くと、自分で冷蔵庫を開け、牛乳やコーヒー牛乳を取り出
し、コップも自分で取って、パックから注ごうとします。さすがに自分でコップに入れたりす
るのはこぼれる危険があるので、女房かボクがやるのですが、ちょっと前まで冷蔵庫も自
分では開けることができなかったくせに、今では何もかも自分でやろうとするのですから、
違った意味で目が離せません。
5月3日 久しぶりに家族連れのお客さんで賑わいました。当然涼子は大ハッスルです。
みんな深夜まで起きていて大丈夫でしょうか?ボクもしばらく忙しい日が続きそうです。
5月4日 最近テレビの携帯電話のCMで、アクティブエイジを・・・と、60歳代と見受けら
れる、お父さん、お母さん達が元気よく遊んでいらっしゃる映像を見るのですが、食堂のお
客さんで、年に何度かこぎれいな4輪駆動車に乗って現れる、アクティブエイジ10数人が
おられます。その方達が今日お昼2時頃颯爽とお見えになりました。失礼ながらあの人達
の口元から、ペスカトーレだ、アマトリチャーナだという単語がすらすら出てくると、少々びっ
くりするのですが、自分としてもより料理に気を使うようになります。男女入り乱れての田舎
のレストランでのお食事会でありましたが、さらりと派手にされている姿がなかなかカッコ
のいいものでありました。
5月5日 毎日お兄ちゃんや、お姉ちゃんが来てくれるので、涼子はとてもご機嫌です。知
らない人が見ると、家族の一人、兄弟姉妹に見えてくるだろうと思います。気の毒なのは、
大変お疲れのところ、木島平まで来ていただき、自分の子供の世話だけで十分なのに、涼
子の面倒まで見てくださる、お父さん、お母さんです。いろいろと申し訳ありません。
5月6日 涼子がまたまたダウンしました。夕べ寝るときに鼻が垂れていました。我々夫婦
も寝ようとしたところ、涼子がぐずりだし、少し疲れたように見えました。その時には熱はな
かったのですが、今朝起きてみると、37度1分の熱があり、またやられたかぁって感じで、
横にさせていました。宿泊のお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるので、遊びたくて仕方がない
のですが、一人寝かせていました。ゴールデンウィークの最終日で食事のお客さんは、ま
だ少しお見えになりました。ボク達が仕事に取り掛かると、涼子は一人になり、幾分元気
があるのか、こそこそと遊んでいました。夜になっても熱は下がらず、38度7分まで上が
ってしまいました。飲み薬をやろうとしましたが、大人にとってもかなり苦く感じる薬で、飲む
はずもありません。ボクが涼子の手を握り、女房に座薬を入れてもらおうとしましたが、お
尻に力が入り、体の中に入る前に薬の多くは溶けてしまったようです。熱が出た理由はい
くつか考えられるのですが、多くのお兄ちゃんやお姉ちゃんがお見えになり、涼子はハッス
ルしすぎです。先日の二の舞はごめんです。明日は元気になっていますように・・・。
5月7日 37度前後の熱が続いている涼子は、先日入院したときよりも幾分元気で、横
になってなさいと言っても、ほとんど聞く耳を持たず、ウロウロ遊んでいます。ボクも女房も
ギャーギャー怒鳴りますが、涼子は一瞬静かになる程度で、数分後には素知らぬ顔で遊
びだします。頭が熱いのが気になります・・・。
5月8日 涼子の熱が36度4分まで下がったので、みんなで上越へ仕入れに出掛けまし
た。雨が降っていたので外での遊びはできませんでした。故に仕事を終えてそそくさと帰っ
て来ました。子供が病み上がりだし、天気は雨だし、地味な仕事だけの休日になりました。
贅沢を言ってはいけません。何より涼子の元気が戻ってきたのですから。
5月9日 夜10時を過ぎると涼子もだんだん眠たくなってきます。当然柔らかい布団の上
で眠りたいのですが、我々両親はこの時間ではまだ仕事が残っていて、寝ることはできま
せん。涼子にとって一人で寝るのは淋しいようで、できることなら早くお母さんと一緒に床
に着きたいのです。涼子がかわいそうになってボクが一緒に寝てやると、”お母さんはまだ
一緒に寝てくれへんの?” と大阪弁でボクに聞きます。”お母さんはまだお仕事やから、
もうちょっと待って” となだめます。かわいいものです。寝るときにいつまで親を必要とし
てくれるのでしょう。
5月10日 朝8時から地域の花を植える作業に参加し、10時半頃家に帰って店の準備
を始めました。昼の営業を終えて、涼子を連れて仕入れに出掛けました。夜に食事の予
約をもらっていたので、帰るとすぐに仕込みを始めました。予約のお客さんは85歳のおば
あちゃんを頭に、平均年齢70代のおじいちゃん、おばあちゃん連合でした。先日お見え
になったアクティブエイジのみなさんより、さらにアクティブエイジなのです。洋食がいいか
和食がいいか非常に悩んだのですが、予約の際、お客さんが発した ”年ですから” とい
う言葉が決め手となって、和食にしました。”こごみ” という山菜を使った和え物や、ささみ
ときのこのみぞれ和えや、ニジマスの塩焼き、ご飯もちょっと気張って、鯛めしなどをこしら
えて春から初夏の和風をがんばって揃えました。女房の提案でウチの人気メニューのピ
ザも最後に焼いてみました。食堂からはあまり、うまいまずいの声は聞こえてきません。こ
れは良くなかったかなぁと、不安になりながら最後のピザをだすと、”うおぅ!すごい!” 
という声。”こんな事やったら、洋食にしたら良かったぁ!” と後悔しました。お客さんの好
みというものはわからないものです。仕事を終え、野沢温泉に入って帰って来ました。長い
一日が終わろうとする我が家の夕食で、残りの山菜とろろそばを口にしたとき、”このおそ
ば美味しいって、おばあちゃん言ってたよ!” と食堂でおばあちゃん達と長く遊んでいた
涼子が言ってくれました。ゆっくりと眠れそうです・・・。
5月11日 明日木島平で自転車レースが行われます。そのレースに参加するお兄ちゃん
と一緒に、またまた野沢温泉に行きました。涼子はお兄ちゃんがいるので、嬉しくて仕方な
いようです。あまり暖まりすぎたのか、お兄ちゃんは体の力が抜けてしまったと言ってまし
た。明日、あさってのレースが少し心配です。なんとかよい成績を残してもらいたいのです
が、どうでしょうか。健闘を祈るばかりです。
5月12日 かっこの悪い話ですが、また熱が出ました。涼子ではありません。ボクです。
昼の営業の時には元気だったのですが、午後3時過ぎから体調がすぐれず、薬を飲んで
横になりました。昨日の野沢温泉で湯冷めをしたような感じです。風邪をひかないように
しっかり体を拭いて暖をとって、涼子にも同じようにして帰ってきたのですが、ダメでした。
自己管理が全く行き届いていません。横になっていたボクの側で涼子に、”今度はお父さ
んが風邪ひいちゃった” と言うと、”りょこたんののど飴食べる?アンパンマンのだよ!”
と気を使ってくれたので、お言葉に甘えてアメちゃんをもらいました。泣けます。
5月13日 自転車のレースが昨日に引き続き行われました。ボクは体調がすぐれず、少
しの時間しか観戦できなかったのですが、ものすごく激しいレースで感動しました。去年は
何がなんだかわからなかった涼子も、”がんばれ〜” と自然に声が出るほど、白熱した
レースでありました。すぐさま単純に盛り上がってしまうボクも、涼子に負けず声を張り上
げ、青い空と山の新緑のまぶしい中、応援をしていました。レースに参加されているのは、
多くが仕事を持った大人の方達で、1ヶ月に2度くらいのペースで各地で行われるレース
に参加するそうです。普段着姿のみなさんを見ると、ただの兄ちゃん、あるいはおっちゃん
なのですが、ユニホームを着ると実に精悍で、ファッション雑誌にでも載ってそうな感じがし
ました。ポチャポチャ、でっぷり、むくんだボクでも、ユニホームでも着せてもらうと少しはか
っこよく見えるかなと想像してみましたが、ボンレスハムのようになるのがすぐ思い浮かん
だので、つまらない事を考えるのはやめました。仕事を持ちながら、自分が自分らしく集中
できる何かを持って生きている素晴らしい人たちでありました。ご苦労様でした。
5月14日 涼子の外用のスリッパを買うために、女房と涼子が靴屋さんに行きました。今
まで涼子の衣料品などを買うときには、涼子に有無を言わせず、女房がさっさと選んで買
っていたのですが、今日は自分のスリッパが買ってもらえるとわかると、女房が勧めたも
のなどには見向きもせずに、自分の好みのものを主張し続けるらしいのです。ようやくウン
チが言えるようになった程度の小娘のくせに、いよいよ末恐ろしい物欲というものが出てき
たようです。
5月15日 あきらめました。明日、明後日にはイタリアに十日間程度いくつもりで、こそこ
そ準備を進めてきたのですが、無期延期です。行く気力というか、エネルギーがなくなって
しまいました。昨年の夏の終わりから漠然と計画していたのですが、夏、秋、冬と田舎の宿
に似つかわしくなく忙しくなり、ようやく時間がとれる季節になったはずなのに、自分の頭の
悪いのが災いしているのか、絶えず何かに振り回されているような暮らしぶりなのです。短
期間で家族が順番に体調を崩し、今日は女房が一日寝ています。ここ1週間に保養候補
地をカナダ、アラスカ、ノルウェー、イタリアの4箇所からイタリアにしぼりこんでいました。5
月ということを考えると、雪国に暮らす我々にとってはイタリアがベストな選択に思えまし
た。また、食堂ではスパゲティーやピザをすました顔で提供していますが、ボク自身の現在
までのイタリア滞在日数はわずか4日であります。ローマでスパゲティーを食べたことがあ
るという程度の経験しかなく、勉強は日本でやっただけに過ぎないので、イタリアの家庭料
理の勉強を兼ねて、トスカーナ地方に限定し、ガイドブックやインターネットを使い、メール
やファックスをあちらこちらに送り、フラフラの頭と体で情報収集をしていました。ボクの英
文が拙いのか、不親切なイタリア人にあたったのか、宿の決定などにかなり労力を使い、
今回の旅行の予算がかなりの金額になることや、女房の風邪などが決め手となって、無期
延期にしました。横になっている女房や病み上がりのボクとは対照的に、元気の有り余る
涼子は、家にいると際限なくうるさいので、少し外に連れて出掛けました。千曲川の堤防で
自転車を走らせたり、千曲川に注ぐ樽川の河原で水遊びをさせました。良いお天気で、水
遊びは気持ちよかったようです。”涼子、休みの日にどこに遊びに行きたい?山?川?そ
れとも海?” と河原で濡れた砂遊びに夢中になっている涼子に聞くと、”この川!ずっと
ここで遊んでたぁい!” と親にお金がないのをお見通しかのように、経済的なことを言っ
てくれました。時に親孝行な娘に助けられます。
5月16日 過ごしやすい気候になってきました。5月末日くらいまで休業します。辛抱強く
子育て日記を読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。しばらく休憩をしま
す。
5月29日 先ほど実家のある奈良から帰ってきました。イタリアは奈良に変わってしまい
ました。墓参りやお世話になっている人への挨拶を済ませると、1週間程度は家の中で過
ごしました。残り1週間はボクの料理の先輩達のお店にあちらこちらと伺い、厨房に入らせ
てもらい料理の勉強をさせてもらいました。もちろんイタリア料理や会席料理なども食べに
行きました。いろいろと刺激になり、あとはボクがどうするかにかかっています。涼子は2
週間の家を空けていた間、怖い顔をこちらに向けて ”おうち帰りたい!” を連発していま
した。晩ご飯を久しぶりに家で食べると、いつもの笑顔が戻っていたのでホッとしました。
明日からまたがんばります。
5月30日 庭の雑草がものすごい勢いで伸びていました。これからしばらくはボクの大嫌
いな仕事のひとつである、雑草との闘いが続きます。奈良の明日香村にボクの料理の先
輩が勤めているお店があり、今回厨房で勉強させてもらっていたのですが、600坪の日本
庭園の中の旧家で会席料理を提供していました。料理も一品、一品丁寧に仕上げられて、
頭の下がる思いがしたのですが、料理もさることながら店の外観に何よりびっくりさせられ
ました。料理のひとつひとつに魂が込められているように、庭の木々や花々にも気配りが
行き届いているようでした。2週間も留守にしたウチの庭など情けなくて、先輩には怒鳴ら
れそうというよりも、呆れられそうです。店の規模などは比べものになりませんが、なんとか
追いつけ追い越せの気持ちで、涼子と二人で雑草掃除を続けた一日でありました。
5月31日 マリナーズ、イチロー選手がオリックス在籍中、一時はイチロー選手から首位
打者の座を奪っていた、元ダイエーの若井選手が来てくれました。現在はダイエー球団に
所属しながらスカウトの仕事をしています。中学時代の同級生なので、やくざ言葉が飛び
交いながらの酒宴でありました。涼子は怖いおっちゃんであるにもかかわらず、あーだ、こ
ーだと反撃をしていました。じっと黙っているときもあるのに、話を始めるのです。若井君の
人柄がそうさせるのかもしれません。


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