親バカ父ちゃん子育て日記
1月31日 涼子と母は一日の中で、互いに一番長く過ごしています。長く過ごして
いるので当然衝突もあり、涼子が母に怒っている時もあれば、そのまた逆もありま
す。母曰く、今日は全く涼子に怒られなかったらしいです。いつもヒステリックに騒ぐ
涼子ですが、今日は穏やかに過ごしていたようです。昨日ボクが作ったファンタジ
ーランド、いや、すべり台ですが、随分長い間遊んでくれていたようだし、ご飯もお
なかいっぱい食べたようなので、ご機嫌だったようです。明日はどうなるでしょうか。
1月30日 お昼過ぎからよいお天気になりました。高くなった雪の壁をスコップで
切り崩し、大きなすべり台を作りました。滑る所だけ作って終わろうと思ったら、階
段はどこだという涼子の声に、階段も作っていきました。汗かいてがんばって作り
上げました。が、しかし涼子も母も1回通り滑った後、玄関前の小さな雪の山に戻っ
てしまいました。おいおい!父さんがんばったんやけどなぁ!もうちょっと滑ってぇ!
1月29日 去年の涼子は雛祭りの歌をよく覚えていて、ちゃんと唄うことができま
した。”お内裏様とお雛様♪ 二人並んでふにゃひにゃお〜♪” ところが先ほど
唄っていた歌詞を聞いてみると、”灯りをつけましょぼんぼりや〜♪、灯りをつけま
しょぼんぼりや〜♪、灯りをつけましょぼんぼりや〜♪” とメロディーはあってい
るのですが、歌詞は何度も同じ事を繰り返すだけなのです。また、声の出し方もど
こにでもいる下手くそな歌手と同じで、腹から声が出ていません。ボーカリスト志望
であった父の娘としてはこれではいけません。鍛え直しましょう!
1月28日 10日ぶりくらいでしょうか。久しぶりの大雪でした。一昨日に切った
指先に冷気がしみ込んで泣きたいほどですが、除雪は避けられません。こんな日
に限って、機械に石を巻き込んで2度もボルトの交換です。いくら涼子がいろんな
手伝いができるようになったとはいえ、機械を動かす事はできないし、頼れるもの
は何もない・・・、がんばるしかない!
1月27日 スーパーのレジ係りの店員さんを真似て涼子は遊ぶのですが、商品
のバーコードをレジに通す時の音を 「プ」 と言った後、「100円半額、プ、68円
半額、プ、350円半額、プ、200円半額」 と涼子のレジごっこをよく聞いていると、
買った商品は半額ばかりです。これは一体どういうことでしょう?そんなに我が家
で買うものは値切り品ばかりなのでしょうか・・・。おはじゅかしぃ!?
1月26日 まだまだ半人前のボクは、半年に一度、イヤ4ヶ月くらいに一度は指
先をナイフで切ってしまいます。怪我をした指先が治った頃に、また違う部分を切
ってしまいます。だいたい何度も同じ場所を切るのですが、それは左人差し指の
第一関節外側のやや親指側で、野菜などを素早く切る時には一番刃先の近くに
位置しています。何度も切ってしまうので、その部分だけは指紋というか、指のし
わがありません。今日の夕方に切ったところは左小指の爪なのですが、どうして
こんな所にナイフがいくのかわかりません。これが情けないです。バカですねぇ。
上下半分に割れてしまいました。涼子は 「こうやって、こうやって、こうやったら
痛くないよ」 といろいろ教えてくれますが、ヒリヒリズキズキ痛みます。
1月25日 「たかみりょうこです。4歳です。びっくりりえたんに住んでいます。」
保育所の面接があり、女房と出かけた涼子の第一声は聞かれもしないのに、自
分の名前を名乗ったようです。「好きなものは何ですか?イチゴ?バナナ?メロ
ン?」 「プリン!」 面接ということなので、入園を拒否されるような事があるので
しょうか。ボクがイギリス滞在中、下宿先の当時4歳のベッキーという娘はあまり
のやんちゃぶりから、幼稚園は途中退学ならぬ途中退園をしていました。涼子が
その上をいく、入園拒否をされないよう、ただただ祈るばかりです。
1月24日 曇り空の一日でしたが、日が射した一瞬がありました。家の中にテン
トウ虫を見つけた涼子と母は、南側の日の当たる部屋でぽかぽかした太陽の光
に包まれながら、静かにテントウ虫と遊んでいたようです。冬の間は、外で栽培で
きないイタリアンパセリやルッコラを、自分達の部屋で育てているのですが、その
青い葉をテントウ虫にかぶせてやったりつついてみたりと、涼子の長い冬の日は
ゆっくり過ぎていきます。
1月23日 宿泊のお客さんがチェックアウトされると、みんなで上越へ仕入れに
出かけました。買い物を終え、雪が残る公園で昼ご飯をとりました。おなかがいっ
ぱいになると当然涼子はじっとしてはいられません。あちこち動き回って遊んでい
ました。ニコニコしながら涼子は、何かを摘んでベンチに座る我々の所に持ってき
ました。よく見るとそれは凍りついた犬の糞でした。母に犬のウンチだということを
知らされると、石のように堅くなった糞を雪の上に落とし、きれいな雪の上で指を洗
っていました。大笑いをしながら車に乗り、帰途につくと、涼子はなんと ”こぶとり
じいさん” の話を始めました。絵本があるわけではありません。それをほとんど絵
本に書いてあるのと同じように話してくれました。大笑いをしていた我々が今度は
びっくりしてしまい、小さな車の中で涼子に拍手を贈りました。驚きました・・・。
1月22日 この春から涼子を保育所に入れるつもりなのですが、その申し込みに
行ってきました。家に戻り涼子に、「りょこたん25日に保育園の先生とお話やで!」
と伝えると、日にちや時間の感覚がよくわかっていない涼子は今すぐにでも行くと
思ったのか、少し緊張してきたように見えました。料理の本を見ながら献立を考え
ているボクの横で、涼子と母は相変わらず元気に遊んでいましたが、「さ〜ぁ!や
るかぁ」 と上着を脱ぎながら立ち上がって、厨房に行こうとするボクに 「今から行
くの?」 と涼子は緊張した顔をボクに向けました。「保育園は金曜日だから今日は
行かないよ!父さんはお・し・ご・と」 と言うと、また少しホッとしたように見えました。
ガラにもなく、涼子なりに緊張しているようです。
1月21日 夕べはものすごい風で、深夜に家に掛けているイタリアの国旗を取り
入れたり、スノーマンの置物を家の中にしまい込んだりしました。朝起きてみると、
風はまだ幾分強く、雨も降り出していました。都合で長野県中部にある山形村の
清水寺というところにお参りに行きました。かなりの標高に位置しているようで、お
寺に向かう道中は雪がいっぱいで、途中から車を停め、雪道を歩いてお寺に向か
いました。相当な雪の量だったにも関わらず、涼子は山道をワイワイ叫びながら走
っています。涼子の脚力はかなりのものかもしれません。晴れていればとても景色
の良いところだったのでしょう。明日は晴れるでしょうか・・・。
1月20日 「りょこたんのチンはちっさいんだよぉ。りょこたんも父さんみたいに
なったら、でっかいチンになるかなぁ。りょこたんもでっかいチンになりたいなぁ・・」
こういう場合にはなんと答えれば良いのでしょう・・・?
1月19日 昨晩の本読みは ”こぶとりじいさん” でありました。眠たくて眠たくて
仕方がないのに、涼子はボクが布団に入るのを待っています。さぁ読もうという時
の涼子の目はほとんど閉じていました。ボクが本を読み始めると、とりあえず目は
大きく開きました。話の途中で涼子の目は閉じたり開いたりと、できの悪い中学生
のボクが夏の補習を受けているような感じになってきました。眠りかけている涼子
にまともに読む必要はないなと感じたのか、ボクは知らぬ間に1ページ分をとばし
て読んでいました。すると涼子は何も言わず絵本に手を伸ばし、とばした1ページ
をめくり直しました。涼子はそのまま最後まで起きてはいられませんでしたが、手
抜きはできないなと反省させられました。
1月18日 食事のオーダーで大忙しの時に、涼子は 「どうしてりょこたんのピザ
は作ってくれないんだよぉ!」 と大きな声で吐き捨てるように言ったので、またま
たボクの怒りは頂点に達し、涼子は涙・涙の時間を過ごしました。何度注意しても
涼子はご飯の時に何か文句を言うし、仕事の時にあれやこれやとうるさく言うの
で、料理の途中ではありましたが、怒ってやりました。泣きじゃくる涼子を叱るのは
本当につらいものですが、うん!仕方ありません。
1月17日 お風呂から出てきた母と涼子は、二人揃って2階へ上がって行きまし
た。しばらくして母がひとりで下りてきたかと思うと、背中に涼子が張り付いていまし
た。相変わらず二人ともニコニコしています。メガネを持って、また2階へ上がって
行きました。これから本読みの業だそうです。がんばれ、おかん!
1月16日 一日中涼子は母と過ごしていました。朝起きてから、ずっと母と一緒で
す。女房とボクだけで営業に出かけた3時間ほどの間も、涼子と母はずっと家にい
て、何をしているのか、二人ともほとんどニコニコ遊んでいます。昼寝も涼子と母が
一緒に寝ていて、母だけが起きて1階に下りてくると、後から目を覚ました涼子が
「どうしてばっちゃんは、りょこたんをひとりぼっちにするの!」 と大声でわめいた
後、すぐにまたごそごそ遊びだします。ボクは遊び相手をしないで済むので楽です
が、この日記のネタがなかなか出てこないので苦労します。今も涼子が母と一緒に
寝ようとうるさく言っています。一緒に寝ないと答えてる母に 「どうしてばっちゃん
は一緒に寝てくれないのっ!」 と喰ってかかります。とうとう二人して2階へ上がっ
て行きました。どうなる事やら・・・。
1月15日 昼間に村の温泉施設、馬曲温泉に行きました。こちらに移住してきた
当初は露天風呂の雰囲気が良くて、随分出かけましたが、あちこち温泉に入るに
つれ、温泉の善し悪しがわかるようになり、最近はほとんど出かけていませんでし
た。値段は高いし、泉質も良くありません。ただ雰囲気だけはこの界隈ではダント
ツのトップだと思います。何より里山が遠くに見下ろせます。開放感がたまりませ
ん。涼子を何度も連れて入りましたが、今日などは温泉の入った桶を持ち、自前の
小さなフライパンで雪に温泉をかけて遊んでいました。雪見の温泉施設で、小猿が
はしゃいでいるようでした。こんなふうに和ませてくれるので、温泉はいいのです。
1月14日 10人前後と20人前後の食事の用意は随分違います。今朝の朝食
の準備はそれほどでもなかったので、気合いを入れて厨房に立ったボクは少し力
が余っていました。朝食を全て出し終え、自分達の食事という時に、ちょっと小粋に
お客さん仕様にしてみました。トーストにはガーリックバターを塗り、ゆで卵に粒マス
タード等で作ったアイオリソースを和え、母に買ってもらった高級なソーセージを焼
き、いっぱしの朝食にしてみました。ところがです。大人はみんな喜んで食べている
のに、涼子は一口パンをかじったきり、全く食べないのです。大人向けの味になっ
ているわけではありません。が、食べないのです。女房も母も後かたづけや、掃除
に行ってしまって、ボクは涼子の見張り役になってしまいました。「はよ食べんなら
遊びに行かれへんで!」 とボクが言うと、涼子は言いました。「どうしてりょこたん
の嫌なものばっかり食べさせるの?」 「・・・・・。」 ボクはショックでありました。先
日も記しましたが、幼少の頃のボクは、毎日食事の時間が苦痛で仕方ありません
でした。それはまずいものばかりを、食べさせられていたからです。そんなことのな
いようにと、毎日毎食お客さんに提供するものと同じようにはいきませんが、父自ら
が作ってやっているのに、くっそぉ!もぅなぁ!涼子の食事は料理の得意なお前の
母さんか、ばっちゃんに作ってもらえっ!俺は知らんっ!勝手にせぇ!
1月13日 ここ2,3日、積もるほどの雪が降っていないので除雪をする必要が
なく、ホッとしています。涼子は雪がきれいな状態ではないので、雪を丸めて遊べ
ないと、少々つまらなそうですがご機嫌です。ピザの持ち帰りのお客さんがピザが
焼けるのを待つ間、涼子が楽しそうに雪遊びをしているのを見て、「木島平に来て
よかったねぇ」 と言って下さいました。よく考えてみると、涼子は木島平生まれな
ので、お客さんのおっしゃった、”来て良かった” というのは涼子にとっては当ては
まりません。涼子にとっては、木島平に生まれ育って良かったのでしょう。
1月12日 ギリシャのエーゲ海に浮かぶ島にサントリーニ島というところがありま
す。10年前の年末・年始はサントリーニ島にいました。島にほとんど人影はなく、
ひっそりとしていて、エーゲ海の海の色がより冷たく感じさせたのを覚えています。
あれから10年も経ち、あのころには想像もしなかった生活をこの雪国で送っていま
す。とすると、10年後にも今では想像もできない生活をしているのかもしれません。
海、山と来たので、今度はニューヨークのような大都会か、もしくは砂漠にでもいる
でしょうか。女房、涼子に見放され、晴れて独身かもしれません。う〜ん、それはワ
クワクするなぁ。にやけてくるなぁ。どうしようかなぁ。でも、あまり変わらない気もす
るなぁ・・・。
1月11日 女房が風邪気味で、一日中横になっていました。忙しい日が続いてい
ると、風邪など全くひかないのですが、少し時間があると気が緩むのか、風邪をひ
いてしまいます。女房だけで終わるのか、順番に風邪をひいていくのか、気をつけ
ないといけません。女房のピンチヒッターならぬ、ピンチワーカーはやはりこの人、
涼子であります。ロフトの雑巾掛けや、シーツや枕カバーを持ってきてくれます。ボ
クが一人でやる方が仕事ははかどるのですが、ご機嫌に手伝おうとしてくれている
ので、任せることにしました。本当にボクや女房の代わりに働けるような日が来る
のでしょうか・・・。
1月10日 幼少期のボクは母に殴られ、蹴られ、縛り上げられる毎日でした。大
げさではありません。文字通りであります。母が作るまずい食事に文句でも言おう
ものなら、テーブルからたちまち食べるものが取り上げられ、平手打ちを喰わされ
ていました。毎日毎食、本当にまずい食事だったので、涙、涙の食卓でありました。
時折そんな話を涼子にするのですが、お昼ご飯を食べていた時、突然涼子が母に
叫びました。「どうしてばっちゃんはお父さんから食べるものをとって、叩いたり、手
も足もくくったりしたんっ!お父さんに謝りっ!」 大きな声で、目を大きく見開き、
母にくってかかりました。「父さんがちっさい時の話はもうええから、涼子は早くご飯
を食べなさい」 とみんなに攻撃されました。おなかが減っているのか、いっぱいな
のか、ちんたらちんたらと食べる涼子は、少々急かされることはあっても、叱られる
ことはなく、幸せなヤツなのです。
1月9日 昨日東京から帰ってきたのが随分遅かったので、涼子は風呂にも入ら
ず、眠ってしまいました。今日も一日遊び続け、晩ご飯も食べず、そして風呂にも
入れず、またまた眠ってしまいました。新幹線内の売り子のお姉さんの真似をした
り、デパート屋上のメリーゴーランドのアナウンスを真似てみたり、レストランのウェ
イターの真似をしたり、涼子の遊びは尽きることがないようでした。
1月8日 料理の勉強のため、東京の西麻布にあるイタリア料理店に行って来まし
た。涼子に 「今日は新幹線に乗って、東京に行くぞ!」 と言うと、わかっているの
かいないのか、「やったぁ!わぁいわぁい!新幹線だ!」 とはしゃいでいました。長
野駅まで車で出かけ、新幹線に乗りました。涼子が新幹線に乗るのは2回目なので
すが、乗る前と乗ってからしばらくはとても嬉しそうにしていました。しかしさすがは我
が娘であります。だんだんつまらなくなってきたのか、落ち着かなくなり、「なんか食
べたい!なんか飲みたい!探検に行こう!なんかもっと遊びたい!」 挙げ句の果
ては、「どうして新幹線に乗りたいって言ったんだろう?」 と言い出す始末。ボクも
子供の頃にイライラ、ウロウロしていたのを思い出し、端から端まで列車中を涼子と
共に歩いてやりました。どうにかこうにか時間をつぶし、東京に着きました。池袋の
デパートの屋上で、しばらく涼子を遊ばせました。それから食器や家具を見て回りた
かったのですが、涼子のイライラ、ウロウロ虫が再び稼働し始め、グラスを少しだけ
買って西麻布に向かいました。レストランに着くと、女房と母とボクの3人は、コース
料理を頼んで食べることにしました。料理が運ばれてくる先は、涼子を除く3人であ
ります。それに何となく気づいた涼子は 「どうしてりょこたんのはお皿だけなんだよ
う!」 と怒りを露わにし始めました。もちろんみんなが少しずつ取り分けて、涼子の
皿に入れてやるのですが、涼子としては、ウェイターのお兄ちゃんに自分も料理の
説明を受けたいようなのです。そしてそれを食べて、甘いだの、酸っぱいだの、柔ら
かいだのと一人前の口を利きたかったようなのです。デザートが出てくるようになっ
てようやくその事に気づいた我々は、出てきた料理をすぐさま 「マンゴのシャーベッ
トとパンナコッタ、なんとかナッツのタルトでございます」 と言ってやると、「う〜ん、
これは酸っぱいですけどまろやかで美味しいですねぇ」 と真顔で申しておりました。
テレビや雑誌などで時折見かけるシェフ、片岡護さんのお店だったのですが、厨房
からお店に挨拶に出てきてくださいました。帰り際涼子は片岡さんに、「美味しかっ
たから、また来るね!」 となんとも友達のように話しかけ、ボクは恐縮するしかあり
ませんでした。なんとか食事を終え、帰りの新幹線まで時間が少しあったので、パチ
ンコをやってみようということになりました。母は立ったまま見ていましたが、涼子も
女房もボクもパチンコ台の前に並び、一斉に玉を弾き始めました。みんなやる気満
々だったにも関わらず、アッという間に終わってしまい、「さぁ、帰ろう!」 と言うと、
「なんで帰るんだよう!もっとやろうよぉ」 と涼子は悔しそうに言っていました。一日
中ハッスルしていた涼子ですが、帰りの新幹線の中、「今日は東京に行って、何が
一番楽しかったぁ?」 と聞くと、「パチンコォ!」 と言われてしまいました。やはり
我が娘であります。きっと彼女は立派に育ちます。・・・・・料理は勉強になりました。
ほんの少し目の前が開けたように思います。雪の合間の休日でありました・・・。
1月7日 久しぶりに朝寝坊しました。良いお天気で除雪をする必要もなく、ゆっく
り眠っていられました。年末・年始の準備で冷蔵庫や冷凍庫の中はパンパンだった
のですが、随分空きが出てくるようになり、上越まで仕入れに出かけました。山だけ
でなく道路際にもたくさんの雪があり、とても寒いはずなのですが、良いお天気過ぎ
て車で走っていても、とても暑く感じました。普段は仕入れに出かけても、涼子には
何も買い与えないのですが、今日は母も一緒なので、いろいろ買ってもらっていた
ようです。ほんの少しゆっくりできた一日でした。
1月6日 屋根の雪が下に落ちてきて、3メートル程度の氷山のようになってしま
いました。昨晩もものすごい量の雪で、朝から除雪が続きました。北極か南極の
モグラにでもなったような気分で、大きく堅い雪の山を掘るようにして雪かきを進め
ます。高さ3メートルの雪の山を崩していくのには、ボクが所有する除雪機では簡単
に前へ進みません。横になっていた女房や母もスコップを持ち応戦してくれました。
もちろん涼子もお手伝い兼お遊びをしてくれます。4人揃って除雪をするのは初め
ての事です。氷山の頂上に立つ涼子は、どこか悠々として楽しそうでありました。こ
の冬、第1ラウンド終了です。
1月5日 わずか1週間程度の事なのですが、忙しい日が続くと、体中が痛くなっ
てきます。女房や母は同じ姿勢で洗い物をするので、背中や腰が痛くなるようです。
ボクは両手がしびれたようで、力がしっかり入りません。そんな中、涼子はひとり元
気なのです。これから ”名犬ラッシー” を読むようにうるさく言われています。一日
2回は本読みの業です。今日はここまで・・・。
1月4日 まだ1月の始めだというのに、連日ものすごい量の雪が降り、駐車場が
だんだん狭くなってきています。除雪機で雪を飛ばすのですが、飛ばす場所が日
に日になくなってきて、2月にでもなればどうなるのか心配です。お客さんによって
は、タイヤが滑ると、力任せにアクセルを踏み続け、駐車場がでこぼこになり、雪
の下から砕石が出てきて、その石を除雪機が巻き込んでしまい、除雪ができなくな
り、全くはかどらないこともあります。現在午後11時半になりますが、ものすごい勢
いで雪が降り続いています。今玄関には屋根雪が落ちてきていて、まっすぐ外には
出られません。明日が心配です。涼子は相変わらず元気で、手袋や長靴がずぶぬ
れになるまで遊んでいます。早くもボクはばて気味ですが、涼子の絶好調は変わり
ません。
1月3日 ボクが横になっているのを見つけると、涼子はすぐに馬乗りになって、
ボクは全く休んでいられませんでした。朝食を全て出し終えると、すぐさま除雪機
で駐車場の除雪を始めました。ボクの膝から下がすっぽり、ざっくり埋まってしまう
くらいに積もっていて、短時間では終わりませんでした。おおよそ3時間の除雪を
終えて家に入ると、おなかも減って、既にくたくたでした。ひとりだけの寂しい朝食を
すませると、ちょっと横になりました。食堂の方から涼子の元気な足音が聞こえて
きて、”これはやばい!” と思いましたが、涼子を制する元気もなく、そのまま目を
閉じて横になっていると、なんと隣の部屋から、毛布を引きずってくるではありませ
んか!そして涼子は無造作に毛布をボクに掛けてくれると、「これでいい?」 とボ
クに問いかけます。いつまで優しくしていただけるのでしょう・・・。
1月2日 チェックアウトされるお客さんに涼子は、「これからスキーに行くの?気
をつけてね!」 と声をかけます。缶のウーロン茶を買いに来られたお客さんに涼
子は、「ウーロン茶1本でいいですか?」 と応対します。お客さんがチェックアウト
された後、女房に涼子は、「部屋の鍵をもらった?」 と確認します。いつの間に、
こんなに覚えたのでしょう・・・。
1月1日 ゲレンデに母と遊びに行った涼子は、自分と同じ年格好の子供を見る
と声をかけるそうです。「こんにちは〜、どっから来たの?」 「スキーやりに来た
の?」 などと恥ずかしがる相手が、涼子に返事をしてくれるまで質問を続けるそ
うです。誰とでも明るく挨拶ができる、話ができるということはとても良いことだとは
思いますが、う〜ん、ねぇ。ふむふむ・・・。う〜ん・・・。

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