親バカ父ちゃん子育て日記
12月31日 お腹が空くと翼の口は開いたり閉じたり、舌が出てきたり引っ込
んだり、とてもおもしろい動きをします。目はまだよく見えていないようで、ミルク
を近づけても全く反応せず、口に触れて初めて乳首に吸い付きます。お腹が減
っているであろう翼の口に、ボクの唇を軽く触れさせると、翼はボクの唇をペロ
ペロなめ回しました。女房に 「やっぱり翼は目が見えてないわぁ!目が見えて
きたら、先に殴られるでぇ!」 と言われました。翼は男ですから、何度もなめ回
してもらうわけにはいきません。ボクが変な事に目覚める前にやめておきます。
・・・というわけで、時間があればもっとくだらない事をやって遊びたいのですが、
なかなか時間がとれません。今年も多くの素晴らしい人達に囲まれて、とても良
い年を過ごせたと思います。読者の皆さん!今年もよく我慢して、御精読頂きま
した。来年もどうぞよろしくお願い致します。ありがとうございます。
12月30日 お客さんの宴が終わりに近づくと、接客は変わらず女房がやり、
洗い物は母が担当し、ボクは自分達の夕食作りを始めます。忙しい日は予めわ
かっているので、スーパーで安売りの総菜を買っておくのですが、今日はそれも
お昼時になくなってしまって、冷蔵庫の中の残り物を寄せ集め、テーブルに並べ
ました。すぐに赤ん坊用のバスタブにお湯を入れ、翼を洗います。翼をお湯に入
れると、実に気持ちよさそうな顔をします。洗い終わった翼を、バスタオルを両手
に広げた女房に渡し、続いて涼子とボクがお風呂に入ります。ダダダーッと体を
洗い、涼子には風邪をひかせぬよう、少々長いめにお風呂に浸からせます。ボ
クがバスタブに入っているのは実に1分足らず。そう言えば、今月は温泉にも出
かけていません。お風呂から上がると、晩ご飯です。食事と言えない食事を早々
と済ませると、母が風呂に入り、女房が後に続きます。翼の昼夜逆転の生活は
未だ直っておらず、女房の寝不足もさらに続きます。もう一息、もう一息・・。
12月29日 除雪機の具合が悪く、駐車場の雪片づけが進みません。それど
ころか苦手分野の機械内部をああでもない、こうでもないと訳もわからず触って
いるので、時間がいたずらに過ぎ去り、全ての仕事に影響してきます。今日も
お任せ料理を作っていましたが、どうしてこんな献立を立てたのだろうと悔やま
れるほど、時間が迫ってきて、焦るばかりです。ボクが焦り始めると、女房も焦
り始め、家族みんなが焦っているようになります。みんなの協力の下、仕事の先
行きが見え始めると、ボクもホッとして、家族みんなもホッとし始めます。次から
次へと迫り来る仕事を焦りつつ、淡々とこなすだけです。とにかく除雪機が正確
に動いてくれなければ、家族だけでなくお客さんにまで迷惑がかかります。雪の
バカタレ!これ以上降るな!!!
12月28日 大雪の後の快晴で、今日の木島平周辺は雪の白さと空の青さが
見事でありました。気分良く買い物に出かけると、1年に数回しかない渋滞に巻
き込まれ、なかなか仕事が進みませんでした。家に戻ると、2階の屋根雪が1階
の屋根に落ちた後そのまま残っていて、家が潰されそうだったので、急いで雪
下ろしをしました。屋根には機械を持って上がれないので、全て手作業になり、
今日は上半身がパンパンになってしまいました。仕事は果てしなく続き、じっと
していられるのは寝ている時くらいです。唯一ホッとするのは涼子が我々の忙し
さにはまるで関係なく、ご機嫌に遊び続けていてくれることです。これが病気に
でもなってしまえば、たちまち緊急事態です。とにかくしばらくの間だけでも家族
全員が健康で過ごせるよう、祈るような気持ちでいます。
12月27日 ものすごい雪の量で、朝から除雪機を使わないと車が駐車場か
ら動けないほどでした。1日中雪が降り続き、夕方から2回目の除雪をしようと
機械を動かし始めに、機械内のベルトが切れて動かなくなりました。お客さんは
帰って来るし、仕込みはまるでできていないし、駐車場は雪だらけで身動きとれ
ないし、女房は翼にかかりっきりだし、もう投げ出したくなりましたが、遅くから挽
回を始め、みんなの協力の下、今日も無事に1日を終えられそうです。女房も
母も涼子も翼も、本当にみんなご苦労様・・。
12月26日 昨晩から大雪です。今日も朝から大忙しで、もうすぐ午前1時に
なります。参りました。今日はこれで堪忍・・・。
12月25日 「やっぱりサンタさんなんて、来なかったじゃん!」 サンタさんに
プレゼントを持ってきてもらおうと、昨日は一日、自らすすんでお手伝いを買っ
て出て、いい子を演じ続けた涼子が、目を覚まして一番、吐き捨てるように言い
ました。昼夜逆転の生活を続ける翼の世話に、寝不足が続く女房が隣の布団
から 「足の方を見てみたら、りょこたん!」 「うわぁっ!お父さ〜ん!サンタさ
んプレゼントくれたよぉ!」 と朝食を食べ、お出かけになったお客さんをお見送
りし、隣の部屋でホッとお茶を飲んでいるボクに涼子は声をかけました。涼子に
は確かにサンタさんがいます。素晴らしいことです。
12月24日 保育園で先生に弟の名前を教えてあげようとする涼子ですが、
「ことり? ひよこ? なんだっけ?」 と近いようですが、ちょっと違います。
12月23日 涼子のウンチを拭き取るときは、注意を払いながらのなかなか
難しい作業でしたが、翼のウンチを拭き取る場合は、ついているものがボクと同
じなので、どこをどのように触れば痛い、痛くないがわかるので、注意の程度も
それほどでもありません。雪国仕様の部屋なので、気密性がすぐれていて、か
ぐわしい香りがなかなかとれません。ウンチとの格闘も始まりました。
12月22日 このままいくと、2月にならないと休みは取れないなと、晴れない
気分で仕事を続けていたのが、急遽今夜と明日の丸一日休憩できることになり
ました。宿泊のお客さんがチェックアウトされ、お昼の食事予約のお客さんがお
帰りになると、冷蔵庫や冷凍庫にあった余り物を寄せ集め、なんとかご馳走を
作り、午後2時過ぎからささやかなお祝いと忘年会みたいな事を始めました。
スキー場の側にある宿なのに、いわゆる儲け時に営業していないとは、ご近所
からお叱りを受けそうですが、今年ばかりは事情が違い、休ませてもらうことに
しました。本当に体が資本です。自分で自分を労らなければ長くは続きません。
翼はミルクを飲んだ後、目をパチクリさせて部屋のあちこちを眺めていました。
涼子と似ている気がします。育児に休みがないのはつらいものです。
12月21日 全ての仕事を終え、夕食を食べ、お風呂に入る頃には午後11時
になっていました。涼子は風呂にも入らず、カーペットの上で既に大の字で眠っ
ています。母に先に風呂に入ってもらい、それから赤ん坊用の小さなバスタブに
お湯をため、翼を洗います。女房は病院で教わったらしく、実に上手に洗い上げ
ます。洗い終わった翼をボクはバスタオルに巻いて水気をとり、下着と寝間着を
着せます。夕べの紙おむつがゆるゆるに着けられていたようで、夜中に母乳を
飲む翼のお尻が半分見えてきたという事でした。すまん、すまん!今夜はばっ
ちりできたつもりやから・・・。そのうち慣れる・・・。一難去ってまた一難・・・。
12月20日 10月上旬から宿泊されていた職人さん達が無事に仕事を終え、
昨日チェックアウトされました。一時は来年に持ち越すかもしれないと話してい
らっしゃいましたが、今年中に終わることができ、本当にご苦労さまでした。いろ
いろなドラマを垣間見ることができ、自分達としても思い出に残る仕事のひとつ
となりました。大きな波が去った後、またしても大きな波がやって来たのは昨日
の午後3時頃。5年ぶりに聞く赤ん坊の泣き声はとても新鮮なものではありまし
たが、これから起こりうる育児のつらい面を思い出させる怖いものでもありまし
た。保育園から戻った涼子は 「赤ちゃんかわいい!」 と一言。新メンバー加
入で新たな暮らしが始まります。先ほど風呂に入れた翼を女房から受け取り、
タオルで体を拭いて、下着を着せましたが、とても難しくて、気が付くとボクは汗
をかいていました。これからどうなる事やら・・・。
12月19日 つばさ君へ お七夜だというのになんのお祝いもできずにごめん
なさい。初めておうちに来たというのに、父さんはお客さんに捕まってしまって、
用意していたお寿司に天ぷら、出し巻きに焼き肉はお客さんには行き渡りまし
たが、みんなには食べてもらえませんでした。申し訳ない。これから幾度、父さ
んは君に謝ることだろうか。大変なおうちだけど、いかなる事があろうとも父さん
は君をお守りするつもりです。命名します。高見翼。どうぞよろしくお願いします。
12月18日 夢中で運転を続け、家に戻りましたが、まだ職人さん達は戻って
いませんでした。即刻コンビニ弁当を広げ、先に仕込んでいた ”がんもと白菜
の煮浸し” や ”シュウマイ” をそそくさとテーブルに並べ、またしても広告の
裏に置き手紙を書きました。”妻の具合がすぐれず、病院へ行きます。こんなも
のしか用意できませんでしたが食べてください” 母にはみそ汁とお茶の段取り
を頼み、とにかく皆さんに母の口から謝ってもらうようお願いし、再び車を走らせ
ました。ラッキーだったのは涼子がまだ眠ってくれていた事でした。雪は全く止
む気配がなく、フロントガラスは相変わらず部分的に凍り付いたまま、しかめっ
面をより険しくして、融雪の水が流れるアスファルトの上を病院へ向かいました。
携帯電話が鳴りました。電話から明らかにどこかの飲食店にいるのが伝わり、
その割りにはとても沈んだゆっくりした口調で、「あのぉ、1月1日2日ぁ、5名な
んですけどぉ、空いてますぅ?」 「あいにく満室です」 ボクの声も明らかに怒っ
たように伝わったでしょう。さらに電話が鳴りました。「今、職人さん帰って来はっ
たわぁ。心配せんと、そっちにいたげぇ」 「うん、おおきに。頼むわ」 分娩室の
隣にある手術室の前に行くと、丁度先生が出て来られ、「いいタイミングです。
10センチ開きましたので、分娩室に入ります」 ボクはなんとなく落ち着き、薄暗
い病院の廊下の、あまり暖かみの感じない長椅子に軽く腰をかけました。ボク
は両膝に両肘を乗せて手を組み、手の甲や指先に目を落としました。よく見て
みると、手の外側は数ヶ所あかぎれしていた所から血が吹き出ていて、見つめ
ているとだんだん痛みを感じるようになりました。1時間位待ったでしょうか。手
術室からマスクをしたままの助産婦さんが出てきて、「無事に産まれましたよ。
男の子です」 とそれだけ言って、小走りにどこかへ行ってしまいました。ボクは
急に足のしびれを感じ、イスに深く座り直し、小さくため息をつきました。程なく
先生が出てきて、「7時44分、3415グラムの男の子が産まれました。奥さん
の出血も650ccで、あと2時間位出血しなければ大丈夫です」 とおっしゃい、
ようやくボクの長い1日が終わりを迎えました。この後、保育器でうごめく我が
子と初めて対面し、分娩室にいた女房と会いました。先生は女房とボクに胎盤
とへそのおを見せて、「この血管が赤ん坊の首の所にあって、これが出てくる
時にでも切れていたら、赤ん坊は助からなかったでしょう。あの子は運が良か
ったと思います。高見さん!もうこんな冒険はやめましょうね!」 と笑って分娩
室を出て行きました。自然分娩のための先生が一人。帝王切開のための先生
が一人。小児科の先生が一人。看護婦さんが三人。計六人の仕事師にお世話
になったようです。申し訳ありません。お世話になりました・・・。というわけで、ざ
っとこんな日でした。御精読ありがとうございました・・・。うまく伝わりましたでしょ
うか・・・。家に戻ると、食堂の灯りは小さくなっていて、部屋にはほんのり暖房の
暖かさが残っていました。夕食の全てを終えた母は、涼子と共にいつものよう
に賑やかに遊んでいました。涼子はボクの顔を見ると、「どうして父さんは一人
で行っちゃったの!?」 とプンプン怒り始めました。まぁ、そんな怒らんといてぇ
なぁ・・・。
12月17日 母はお客さんの顔を見たこともなく、ボクが途中まで仕上げた料
理を続きからやるなど至難の業です。「お客さん帰ってきたら、電話ちょうだい!
とりあえず行ってくるわ!みそ汁だけでも作っといて!」 と早口で言い残し、変
な時間に昼寝をしている涼子をしり目に、既に真っ暗な国道を走り出しました。
雪は降り続き、ワイパーの一部が凍り付いていて、フロントガラスの雪と氷を正
確に払いのけることができず、氷と氷の間から覗き込むように運転を続けてい
ました。ボクは何がなんだかよくわからず、昼間の先生の ”胎児死亡” という
言葉だけが、やたら頭にこびりつき、”死ぬな!生きろ!死ぬな!生きろ!” 
を繰り返しつつ、職人さん達の食事の事を考えていました。折しも道路は渋滞
で、なかなか普段通りに病院へたどり着けませんでした。コンビニの前を通り過
ぎ、”そうや!足らずはコンビニ弁当で間に合わせよ!” と企み、病院へ滑り
込みました。女房はつらそうに身体をくの字に曲げて寝転んでいました。ベッド
の横にはカセットレコーダーのような機械が置かれていて、波線を描いた模様
が細長い紙に次から次へと流れ出ていました。先生は模様の一部を指さしなが
ら、「このカーブが続くと赤ちゃんが苦しいんです。帝王切開の準備は整っている
し、子宮を摘出する手術の用意もできています。もう少し様子を見てから決めま
しょう。ダンナさん、もう少しいてくれますね?」 「はぁ・・、いるのはいますが、も
し許されるなら、仕事があるのでいったん家に戻りたいのです。約1時間程大丈
夫でしょうか?」 その後先生は女房を診察し、少し開いてきたので、帝王切開
はしなくて大丈夫かもしれないという事を教えてくれ、先生に許可をもらって、再
び家路につきました。雪は容赦なく降り続きます。コンビニで弁当を買い、綱切
橋の信号で、街灯に照らされた雪を見ていると、雪は上から下に降っているの
ではなく、下から上に吹き上がっていました。無数の白い蚊の大群が押し寄せ
て来るようなすさまじさでした・・・。というわけで、今日もこの辺で終わります。
今日は初めて赤ん坊をだっこしてみました。なんと軽いこと軽いこと・・・。涼子
もあんなだったのに、今は重くて腰にきます・・・。
12月16日 3F東病棟316号室と教えられた部屋にたどり着くと、四つに区
切られた病室で、女房は昼ご飯を食べていました。女房が食べ終わった頃、
看護婦さんがやって来て車椅子を用意し、女房を乗せ、ボクに押すように指示
しました。女房はまだ普通に歩くことができると看護婦に断りましたが、乗って
くださいという事だったので、少々はにかみながら腰を下ろし、涼子は車椅子の
右側に掴まり、ボクは後ろから押して歩き始めました。エレベーターに乗り込む
と、3人のおばあさんが女房に声をかけました。「お産はいつだぃ?」 「今日か
明日なんです♪」 「ウソだいっ!どれっ!」 と女房のお腹を触ってみました。
「ちっせい腹だなぁ。オレの方がよっぽどおっきいやぁ。きゃはははは〜!お大
事にねぇ」 「こりゃあ、男の子だぁ!きゃはははは〜!」 1Fにある産婦人科
の待合所へ行くと、ボクも女房と共に先生に診察室へ呼ばれました。「計画分
娩をします」 と先生がおっしゃった後、これから起こりうる可能性のある、母子
にとってのよくない事柄を、次から次へとわかりやすく話してくれたはずですが、
覚えの悪いボクは百ある中の五十位しか理解していないはずです。陣痛誘発
剤なるホルモンを点滴によって体内に入れ、お産を早めるという事だったと思
います。ついては、その誘発剤を使用することによる副作用があり、陣痛が誘
発され過ぎて、胎児が下におりず、袋を破ってお腹に出てくる場合があるらしい
のです。袋は破れてもお腹の皮は破れないので、胎児は外に出てくることはあ
りません。袋からお腹に出てしまうと、90数パーセントの確率で胎児死亡。万
が一命が助かっても、100パーセントの確率で脳に障害を持つという事を聞か
され、その誘発剤を点滴するための同意書にサインを求められました。先日も
帝王切開と輸血に関する同意書にサインをしたばかりなのに、また別の書類が
出てきて、何もわからない無防備なボクは、ハッキリした口調と笑顔で話す女医
さんに、キリキリ痛みだした胃を押さえつつ、ただただ素直にうろたえながらサ
インするより方がありませんでした。「短い時間ですが、これから夕方まで点滴
をして、明日は本格的にやりましょう」 と先生はおっしゃって、ボクは頭を下げ、
女房に声をかけて、涼子と母と一緒に車に乗り込みました。雪はものすごい勢
いで降っていて、家に戻るとすぐに、除雪機のエンジンをかけました。2時間で
駐車場の除雪を終え、すぐさま夕食の仕込みに入りました。眠い目をこすりな
がら、今日は雪の量が相当なので、職人さん達の帰りは遅くなるだろうなぁと、
比較的ゆっくりしたペースで仕事を進めていました。夕方5時半頃でした。電話
が鳴りました。産婦人科の先生からでした。「奥さんが破水され、赤ん坊の状態
がよくありません。子宮を取り除く手術を緊急にしなければならないかもしれま
せん。ご主人さん、こちらまで今すぐに来ていただけますか・・・」 職人さん達が
帰って来るのが7時過ぎで、食事はそれからさらに1時間後位。仕込みもまだ
前段階で、仕上げに取り掛かるには早すぎて、ボクは母の顔を見ながら、どう
しようか迷いました・・・。というわけで、今日はここまでにします。つまらないこと
を記し過ぎなのか、なかなか前に進みません。出産ドタバタ劇はまたしても明日
に続きます。乞うご期待!はぁ、しんど・・・。
12月15日 その日は週に一度の女房の検査の日で、宿泊のお客さんがお
出かけになり、後片づけを終えると、朝食を済ませ、みんなで車に乗り込み、
病院へ向かいました。真冬並に雪が降り続き、道路からは融雪のための水が
吹き出ていました。診察が終わると女房から電話をもらうことにして、涼子と母
とボクの3人はスーパーで買い物を済ませ、家に戻りました。程なく女房から電
話が入り、今日、明日中になんとかお産を済ませるので、荷物を持って来てほ
しいとのことで、女房が用意していた入院のための大きなバッグを持って、再び
病院へ行きました。雪は変わらず降り続き、機械で除雪の必要がありました。
アッという間にフロントガラスにも雪が積もっていましたが、涼子の小さなスコッ
プで雪を払いのけ、車を走らせました。涼子が生まれる時は、真夏の夜を女房
と二人で車に乗っていましたが、今回は真冬並に雪が降りしきる厳しい環境で
はありましたが、涼子や母と一緒なので、ボクは少し心強く過ごせました・・・。
眠いので、明日に続きます。多くのお客様からお祝いのメールを頂戴しており
ます。返信ができておりません。落ち着き次第、返信致しますので、しばらくお
待ちください。
12月14日 スキー場のオープンに伴い、10月以後、今日の日の食事や宿
泊に関する問い合わせをたくさん頂戴していました。昨日も今日も電話を頂戴
しました。例年通りであるならば、今日も忙しく仕事をしているはずですが、今年
は事情が違い、全ての問い合わせにやんわりとお断り申し上げました。本当に
申し訳なく思っています。今朝チェックアウトのお客さんがお出かけになると、ゆ
っくりと朝食を摂り、母と共に客室の掃除を始めました。涼子は 「早くお母さん
と赤ちゃんの所に行こうよ!」 とうるさく言いましたが、普段は女房が担当の仕
事ゆえ、だらだらと時間がかかってしまって、アッという間にお昼になってしまい
ました。昨日とうって代わって、今日はとても良いお天気でした。スキー場にとっ
ても、スキーヤーにとっても、とても良い日和だったと思います。大きな病院の
産婦人科に着くと、ガラスの向こうに赤ん坊が二人寝かせられていて、高見利
枝子という名札が目に入り、すぐに自分の子供が見つけられました。「りょこた
ん、あれだよ!あの子がりょこたんちの赤ちゃんだ!」 5年前には涼子がい
た場所でした。犬の赤ちゃんだったりすると、「かわいい〜!」 とはしゃいで
いたと思うのですが、微笑む母と共に、涼子は黙って赤ん坊を見つめていまし
た。女房の個室へ入って行くと、女房は左の腹を横にして寝転んでいました。
涼子はカーテンの向こうの女房の顔を見つけると、どこか懐かしい人に会った
ような笑顔を見せました。女房は大役をこなした後らしく、疲れが体中に残って
いましたが、昨日のドタバタ劇を、大きくため息をついたり、小さく笑ったりしな
がらみんなと話していました。病院独特の暑さと話ばかりに涼子がぐずりだし、
「早く帰ろうよ〜」 を繰り返し、女房と赤ん坊を残して家に戻りました。ボクもま
だ昨日の疲れが残っているようです。2週間ばかりご無沙汰にしていた酒を飲
んで寝ることにします。何やらルーマニアがテレビに映るようなので、酒とタコ
わさびとでチビチビやって寝ることにしましょう・・・。
12月13日 長い一日でした。まだ少し興奮していて、うまく整理できません。
胎児死亡、帝王切開、緊急輸血等という物騒な言葉が渦巻き、疲労困憊の一
日でしたが、皆様のおかげで無事に女房は午後7時44分に男の赤ん坊を出
産しました。ありがとうございました。病院の先生や看護婦さんにお世話になっ
たのは言うまでもありませんが、びっくりりえたんをご支持頂いているお客様、
特に本日宿泊のお客様には夕食の支度もままならず、大変ご迷惑をお掛けし
ました。慣れない食事の準備をひとりで引き受けてくれた母、女房のいない夜
を過ごすのは初めての涼子、そして最後までがんばった女房と赤ん坊に心か
ら感謝します。・・・・・それにしても不細工な顔です。ボクに似ると男前のはず
ですが、あれは女房似です。
12月12日 腹筋運動を休むことなく200回など、何でもなかったのがウソの
ように、柔らかくプニョプニョとこんにゃくのようなお腹のボクですが、同じように
お腹が出ていると言っても、女房のお腹はバレーボールかサッカーボール、あ
るいはドッジボールのようにパンパンに堅く、張っています。もうこれ以上膨らま
せる事は不可能と思われるくらいです。つらそうです。涼子のウンチはようやく、
普通に戻った感じです。病気の根源の保育園は、きちんと除菌されたのでしょ
うか。気になるところです・・・。
12月11日 雪が静かに舞う中、飯山駅に母の姿を車の中から見つけた涼
子は、久しぶりにとても嬉しい笑顔を見せました。運転席の後ろに並んだ涼子
と母は、互いにとても嬉しそうでしたが、特に涼子は思い焦がれていた恋人に
でも再会できたような、はにかんだ笑顔で終始ご機嫌でありました。びっくりり
えたんにとって最強の助っ人参上です。精神的に少し楽になりました。女房は
相変わらず日増しに苦しそうです。
12月10日 涼子の変な病気が移ったのか、昨晩はボクも一度吐いて、それ
から下痢になりました。一晩中お腹の具合が悪く、今もあまりすぐれませんが、
ご飯が食べられたので、ホッとしています。涼子の元気はそこそこ戻った感じ
がしますが、便の調子が未だよくありません。女房は苦しそうなのに変わりは
なく、顔を歪めながら仕事を続けています・・・。雪は容赦なく降り続きます。
12月9日 夕食の準備をしている時、女房が顔を歪めながら、「お腹が痛い」
と言い出したので、これはいよいよかと、ボクはまだ帰ってこない宿泊のお客さ
んへ、広告の裏に手紙を書き始めました。”お帰りなさい。妻がお産のため、病
院へ行っています。客室は、にんじん、じゃがいも、トマトです。すぐに戻ります
ので、しばらくお待ちください” また初めてお越しになるお客さんもあり、同じよ
うなことをタタタタターと書き、玄関のドアに貼る用意をしました。女房は涼子の
下着や上着、ズボン等々着替え一式を、すぐわかるように赤ん坊のためのベビ
ーベッドの上に用意してくれました。涼子は厚いジャンパーを羽織って、チュッ
チュタオルを持ち、いつでも出かけられる態勢になりました。細かい雪の降りし
きる中、女房の陣痛とお客さんの帰りを待ちましたが、どちらもなかなかやって
きません。「なんかまだみたいやわ〜」 と食堂に飾ったクリスマスツリーのゆっ
くりウェーブするイルミネーションを見ながら、女房は涼子とボクに言いました。
未だ調子の悪い涼子は 「まだなのぉ〜?」 とつまらなそうな顔をして、テレビ
の部屋に戻って行きました。ボクも疲れからか、だんだん気分が悪くなってきま
したが、弱音を吐いている場合でもなく、最近やけにやつれた自分の顔をさら
に厳つくさせながら、お客さんの帰りと、女房の動きを待つことにしました・・・。
う〜ん、つらい!
12月8日 吐くことはありませんでしたが、一日中水のウンチを涼子は続けて
いました。食欲もあまりなく、時折元気な顔を見せますが、調子がイマイチよく
なさそうです。女房は変わらず、大きなお腹を抱えたまま苦しそうです。ボクは
と言えば、来るなら、来い! といった感じです・・・。
12月7日 今日も2度ほど吐いて、その後下痢になり、医者や保育園の先生
や、ご近所が言っていた通りになりました。保育園に通う園児の数人が同じ症
状の病気になっているようです。元気に遊びたい涼子ですが、どうも調子が上
がらず、気分がすぐれない様子です。整腸剤の座薬をお尻から入れましたが、
涼子はうるさくわめかず、痛さと気持ち悪さに涙をポロッとこぼしましたが、辛
抱しました。エライ!がんばれ!女房のお腹はなんとなく下がってきたように
見えます。こちらもがんばれ!
12月6日 夕べ午前2時半頃、涼子のかすれた泣き声に起こされました。「ウ
ンチ出る」 2交代が終わってやっと眠れると、安心して深い眠りの中にいたボ
クは突然の涼子の声に腹立たしくも思いましたが、涼子にセーターを着せて、
ボクも上着を羽織ってトイレに行きました。ところが出るはずのウンチが出てこ
ず、涼子は涙を流して大きな声で泣き始めました。どうしたのか聞いてみても
きちんと返事ができません。とりあえず布団に戻り、毛布を掛けて、布団を掛け
て寝かせ、ボクも横になったその時、涼子はせき込み、口から食べたものを吐
き出しました。すぐに涼子の口にボクの両手をあてがったので、出てきたものの
ほとんどはボクの手のひらに乗りましたが、幾分こぼれてしまって布団も汚れて
しまいました。またそれは悲劇の始まりに過ぎず、それからというもの、10分か
ら20分間隔でボクは涼子に起こされ続け、トイレにつき合わされました。涼子
はかなり苦しそうに次から次へと固形物を吐き出し、もうこれ以上出るものがな
いというくらいに、きつい二日酔いの日のように、吐いていました。当然女房も
たたき起こされたような格好で、急いでティッシュや洗面器、タオルを用意して
くれました。気がついた時には6時前で、はぁ〜、もうダメ・・・ってつぶやきなが
ら朝食の準備を始めました。午前中は女房が検査で病院へ行き、午後から涼
子を病院へ連れていき、薬をもらってきました。保育園では流行の先端の病気
だそうです。参りました・・・。
12月5日 涼子はみんなの似顔絵を広告の裏に描いて、冷蔵庫の扉にセロ
ハンテープで張り付けています。涼子と赤ん坊と女房とボクの顔がひとつずつ
描かれていて、描かれた形にきれいに切り抜いてあります。それぞれかわい
い顔に描かれていておもしろいのですが、気に入らないのはボクの顔が一番
小さいという事です。一番世話になってるくせに、一番小さいとは何事でしょう。
もっと大きい、描いてぇなぁ!ちなみに一番大きいのは女房の顔です。涼子の
全てにおける優先順位がこの絵に現れています。くそ〜っ!
12月4日 約半月続いた職人さん達の2交代制の仕事が、明日でひとまず
中断するようです。予想よりかなりハードな日々だったので、当然ボクもくたび
れてしまいましたが、女房はかなり応えた事だと思います。職人さん達は日に
日に口数が少なくなりますが、涼子の顔を見る時だけは微笑んでくれていま
す。職人さん達の仕事は終えられるのでしょうか。女房は痛い、苦しいを連呼
しつつも、まだ病院へ駆け込む気配はありません。
12月3日 夕食の準備をしている時、突然隣の部屋から涼子が大きな声で
泣く声が聞こえました。何事かと涼子の方へ行ってみました。「どうしたの?」
唇をへの字に曲げる女房の家系独特の情けない顔で 「足がしびれた〜ぁ」
とビデオのギンガマンを見ながら真剣に泣いていました。くそ忙しい時に何を
ゆうてやがんねん、このタコわぁと思いましたが、「そうか、そうか、かわいそう
かわいそう!」 と声をかけ、厨房に戻りました。育児はまだまだ続きます。
12月2日 刻一刻と女房のお産の日が近づいてきます。10月上旬から宿泊
されている職人さん達の仕事の状況は変わらず不透明で、年内に仕上がるの
か、焦りの色が伺えます。今日から新たに違う現場の職人さんがお見えになり
ました。皆さん年末に向かって必死のご様子です。緊迫した夕食時に、涼子は
ひょこひょこ食堂に入っていき、気の合うおじさんとニコニコ話しています。女房
はいつでも入院できるように荷物を既に整えています。冬への覚悟とこれから
の段取りがうまく定まらないボクは、手にはオロナイン、右肘にはバンテリンと
サポーター、キリキリ痛む胃には2種類の胃薬、最近痛みが復活した腰には
コルセットとすさまじい健康状態で、12月を埋め尽くす職人さん達と忍び寄る
請求書の束達と、格闘する所存であるのですが、どうなるのでしょうか。怖い
よぉ・・・。誰か助けてぇ!!!
12月1日 いよいよ師走です。1日休憩致します。

1999年
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